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60 朝な夕なに旅の宿④ パキスタン(後編)

 苦難の4日間を経て辿り着いたチトラールの AL FAROOQ HOTEL。
 陽気な若いマネージャーに3階の東角部屋をあてがわれた。窓の外、メインストリートにゆっくり時間が流れ、正面の山から月が昇る。

メインストリート

 町には大きな美しいモスクがあり、お祈りは1日に2回、正午と午後6時に行われる。
 お昼が近づくと通りのどの店もがたごとと扉を閉めて施錠され、人々はモスクへ向かってゆるゆる歩いて行く。お祈りが終わるとまたゆるゆる帰ってきて、ふたたびがたごとと店を開ける。夕方6時には正午と同じことが繰り返される。毎日、まいにち、まいにち。
 その大らかなリズムはとてつもなく心地よく、ああ、こんな暮らし方が、こんな生き方があるんだ、とチトラールの人たちがとても羨ましかった。

 で、AL FAROOQ HOTEL だ。

ホテル外観

 シャンドール越えの苦楽を共にしたSEくんがここへ来て酷い下痢に悩んでいた。日本から持ってきた正露丸も効かないらしい。件の陽気なマネージャーに相談すると、ちょっと待っててと姿を消し、ほどなく「ダイエーリアには、これ」と、粉薬を何包か持ってきてくれた。紙包を解くと、なんか、砂みたいな・・・。
 もらってすぐ1包、寝る前にも1包飲んで、翌朝、SEくんのダイエーリアは完治した。ローカルメディスン、恐るべし。
 って宿と関係ない話だった。
 この町のことはいつか別の項で書きたい。
 
 チトラールに2週間ほど滞在したのち、ペシャワールまでコーチ(小型バスも大型ワゴンもコーチと呼ばれていた気がする)で一気に南下した。
 パキスタンに入国してから1ヶ月ぐらいずっと山にいたので、平野に出て視界が開けると妙な気がする。そして、到着したペシャワールがとんでもない大都会に思えた。
 当時の日記に、すごい!人いっぱい!お店いっぱい!香港みたい!と書いてある。ぜんぜん香港みたいじゃないのだが。

 で、チェックインしたのが新市街の NEW MEHRAN HOTEL
 立派なピンクのモスクの前にあって、大きな建物だった。パキスタンの町のビルによくある、コの字型の建物に宿や店舗が入っていて真ん中が中庭というか広場になっているタイプ。で、外は賑やかだけど中はしんと静か。アザーンだけが聞こえてきて、すごくいい感じだ。

占いの館。たぶん。

 ペシャワールからラワールピンディまでは鉄道を利用してみた。
 どこへ行くにもぎゅうぎゅう詰めのコーチと違って、列車はがらがら、風通しがよく景色もよく快適だった。
 が、暑い。平地は暑い。
 ラワールピンディで泊まった AL AZAM で、起きたらシャワー、外から帰ったらシャワー、どこにも行かなくてもシャワー、で、びしょびしょの体に布を巻いてファンの風に当たって涼を取る。
 カリマバードやパンダールでは氷河の氷水が蛇口から出てくるから、もっとぬるい水をくれ!という感じだったのが、ここでは水がお湯である。
 ロビーでテレビの天気予報を見ると、最高気温は連日43度・・・1年でいちばん暑い7月末とはいえ20年前でそれだから、今はもっと大変なことになっているかもしれない。

 あまりに暑いのでふたたび山へ行ってみた。北東部スカルドゥ。
 ここの INDUS MOTEL がまたブリリアントだった。部屋は広くてきれいでバルコニーもついていて、外の眺めが、なんかもう、あの世的。

左端の建物に滞在。

 マネージャーをはじめスタッフはみんな感じ良く親切で、なんというか、ものすごく歓迎されてる感じ、がするのは何故。
 数日の間、スカルドゥを離れてハプルーという村を訪ね、またINDUS MOTEL へ戻ってきたら、わお!おかえり!みたいにふたたび大歓迎され(てる感じ)、荷物持ってあげるよ!とバックパックを担いで部屋まで運んでくれたり、マンゴーの差し入れを持ってきてくれたり、なんでこんなに素敵な人たちなのか。
 商売という空気がまったくなく、ずっと昔から知ってる場所のように感じるのは何故。
 
 この旅では、このあと南部を廻ってイラン、さらにトルコへ向かうはずだった。が、前月にパキスタンが核実験をおこなったためにイランが国境を閉ざし、ビザもおりなくなってしまった。ビザ申請用に、黒いスカーフで髪を隠した写真を撮って持ってきたのに。
 それで、イスラマバードからカラチ経由でバンコクへ飛び、アジア横断は成し得なかったのだった。
 でも、思いのほか楽しかったパキスタン。いつかまた行きたい。ただ、移動には逡巡と覚悟と我慢が必要なので・・・。

めえ

⑤へつづく

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