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8 ビーチを走る宿のカミサマ(ゴア)

 インターネットがなかった頃のバックパッカーは、宿の予約、なんてことはしなかった。電話のあるゲストハウスはあったけれど、英語でやりとりする自信がなかったし(わたしの場合ね)、そもそも予定通りに到着するかどうかわからなかった。
 eメールで予約可、という時代になっても、さほど利用されていたように思えない。そんな1990年代後半だから、列車やバス、あるいはボートなどで目的地に降り立って最初にやることは、その夜のベッドの確保だった。

 インド最南端を目指す旅の途中の話。
 ムンバイのサルベーション・アーミーで夜行バスのチケットを手配した。行き先はゴア。ゴアに興味はないけれど、次の目的地ハンピまでの経由地として妥当であり1泊か2泊する予定だった。
 ツーリスト用ダイレクト・バスの乗客は全員外国人である。いかにもゴア!というパンクな欧米人たちの中、わたしともうひとり、ST君だけが日本人だった。彼も、ゴアは南下の通過点とのことだ。
 
 午後、ムンバイを出たバスは、翌朝まだ暗いうちにゴアのマプサに着いた。真っ暗。暗い中、バスの周りには、宿の客引きを兼ねたオートリキシャマンたちがひしめいている。欧米人たちはわちゃわちゃと値段交渉したり何やらしたり、それぞれリキシャでどこかへ去っていき、わたしとST君は暗闇に立ち尽くしていた。そうか、ここには何もないのか。

 とりあえず、宿のありそうなところヘ行ってみよう。わたしたちは残っていたリキシャに、いちばん近いビーチであろう「バガ・ビーチ」と告げて乗り込み、運ばれて行った。が、商売っ気のないリキシャマンに「ディス!バガ・ビーチ!」と降ろされたのは、ただの砂浜だった。

 いや、間違ってはいない。バガ・ビーチと言ったのは我々だ。仕方ないので波打ち際をカラングートに向かって歩くことにした。そのうち着くだろう。カラングートはツーリストエリアだから宿もある。たぶん。バックパックを背負って砂の上をよろよろ歩いているうちに、少しずつ朝が近づき微かに明るくなってきた。

 と、前方にジョギングする欧米人男性の姿が見えた。こちらに向かって走ってくる。「ハァイ」「モーニン」挨拶をしてすれ違おうとしたら、男性が立ち止まって言った。「宿、探してるの?」
 それ以外の何者にも見えないと思う。イエス。すると欧米人ジョガーは、
 「おお!君たちにぴったりのゲストハウスがあるよ、こっち、来て来て(意訳)」
と、海と反対側の、林の方へざくざく歩き出した。慌ててついて行く。そうして、疎林の小道を辿るとすぐに、ぽつんと一軒、小さな家が現れた。右の門柱に「MANI HOUSE」と札があり、左の門柱にマリア像が立っている。
 「ここ、いいよ。じゃあね!(意訳)」
 ジョガーはふたたび走ってビーチへ消えて行った。
 呆然と立つわたしとST君の前に、家の中からサリー姿の女性が現れ「ルーム?」と微笑んだ。

 こうして、わたしたちは庭の離れにあるゲストルームを1室ずつあてがわれ、荷を解くことができた。他に滞在者はなく、ゴアにあって一日中静かという奇跡の宿だった。
 連れてきてくれたジョガーはここの宿泊客ではなく、町なかや海辺で見かけることもなかった。
 わたしは3泊し、風邪気味だから休養するというST君を残して(数週間後、コヴァーラムでばったり再会した)、長距離バススタンドのあるパナジへ移動した。

 いやしかし。
 誰。あのジョガーは誰。
 遠くから走ってきて挨拶した地点にちょうどおすすめの宿があるって、どういうこと。そんな偶然があるものか。ジョガーを装った宿のカミサマだったんじゃないのか。

 この旅は、そのあとも不思議なご縁や謎の思し召しで南下をつづけることになるのだけど、それらの話はまた追い追い。
 それにしても、ほんとにもう旅のカミサマはどこにどんな姿で現れるのか、さっぱりわからない。ありがたいことですが。

この中にもカミサマが?

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