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51 なんとなくスリランカ③(復活のコロンボ)

 もちろん翌朝も気持ちは変わらず、荷物をまとめてチェックアウトの準備をした。一旦コロンボに出て、それから、シーギリヤとかヌワラエリヤとか、高原地方に向かう予定だ。

 昨日ナカオカ先生は機嫌を損ねたまま帰ってしまったけれど、お世話になったのだし挨拶しておきたい。と考えながらロビーで滞在費の精算をしていたら、先生が降りてきた。おはようございます、今から出ます・・・
「お金払いましたか。じゃ、行きますよ」
 え? 
「コロンボ行きはわかりにくいですからね」
 昨日は「知らない」と素っ気なかったのに、案内してくれるらしい。

 ずんずん前を行く先生を、バックパックを背負ってよろよろ、必死で追いかける。
 バススタンドからうんと離れた路上に、比較的きれいなバスが停車していた。
「これ、ダイレクトバスですから速いでしょう。これにお乗りなさい」

 こんな何の目印もない乗り場、旅行者は一生探し当てられへん。
 直行バスだが予約は不要、乗ってから料金を払うシステムだった。何度もお礼を言って、空いていた席に着き、窓からお辞儀をしたら先生は頷いて雑踏へ消えていった。

 さびしいような、ほっとしたような。
 しょうがない。わたしは旅をつづけたい。
 誰かキャンディに馴染む日本人が現れて、ナカオカ先生の右腕となり校長先生の期待に応えてくれますように。
 ちょっと感傷的になりかけたとき、乗ってきた青年に話しかけられた。
「ニホンジンデスカ? コンニチワ。ココ スワル イイデスカ。チューニチ ガ ユーショー シタッテ シッテタ?」
 知らんがな。
 そういえば日本ではプロ野球の優勝が決まる時期か。
 バスは満席になり、ぶるんと発車した。

 場の力、というか何というか、土地との相性はほんと侮れないと思う。
 キャンディとはよほどソリが合わなかったのだろう。離れた途端、旅にいつもの明るさと可笑しさがやってきた。
 青年は名古屋で働いていたことがあり、ドラゴンズのファンなのだった。今はコロンボで中古車部品の輸入会社を経営しているそうだ。話を聞いていたら、あっというまにコロンボ着。

 バススタンドから歩いて、SriLanka EX serviceman's  Institute のシングルルームにチェックインした。YMCA とモスクに隣接する、古いけど大きな建物で、周辺はバザールやら食堂やら、賑やかで活気があった。両替屋や旅行代理店も並んでいる。キャンディと同じ国とは思えない、なんだ、この開放的な空気は。

 大きなスーパーマーケットでは商品の種類も豊富だった。
 とくにチョコレート。
 そう、キャンディでもハマっていた、Edna のチョコレートのフレーバーが倍増した。えーっ オレンジもあるん?

うまい

 えーっ ラムレーズンに、バニラも。

何でもすぐ捨てるのだが、よほど気に入ったのか日記帳に外包装を挟んであった

 いちばん好きなのはコーヒーフレーバーで、大体いつもコーヒーと何かの2枚を買っていた。
 スリランカにこんな美味しいチョコレートがあるなんて。世界はまだまだ知らないことだらけ。
 コロンボで上機嫌になり、ひと晩寝たら風邪は治っていた。この世は不思議なことだらけ。

 すぐに高原地方に移動するつもりだったのだが、もう1泊して街を見て回ることにした。通りへ出て、スリーウィーラーを拾う。インドのオートリキシャ的な乗り物だ。
 National Zoo、と告げると、動物園見物が終わるまで待っててあげよう、で、帰りに市内の観光地をぐるっと回ってあげよう、いくらいくらでどうだ?と持ちかけられた。日記に値段の記録がないのだけど、たぶんものすごくお値打ちな金額を言われたのだと思う。そうしてもらうことにして、楽々とコロンボを巡り、インドだと一悶着ありそうだがそんなことまったくなく、なんかもうめっちゃたのしいやんスリランカ。
 ナカオカ先生をがっかりさせた罪悪感が薄れつつある・・・。

 そして、ヌワラエリヤもシーギリヤも、高地はキャンディ同様どんよりと寒く、人々も閉鎖的なのではないかと思い至り、悩んだ末、南へ、海方面へ行くことに決めた。
 ひとりビーチ。大丈夫か。まあ、寂しくなったらコロンボかキャンディに戻ればいいや。
 ゴー、ヒッカドゥワ。

④につづく

 
 

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