61 朝な夕なに旅の宿⑤ インド(前編)
ムンバイの Salvation Army は強烈だった。
1997年のことだけれど、デポジット100ルピーでドミトリーが1泊50ルピーか80ルピーか、それくらいだったと思う。男女別になっていて、女子部屋へ行ってみると、2段ベッドがいくつか並んでいて、昼間なのに閉めっぱなしのカーテン、どよよんと濁った空気。欧米人の女の子が二人、どよよんとベッドに腰掛けていて、目が合うと気だるそうに、
「ハ〜イ、ベッドはそこと、そこ、2つ空いてるわよ、でもバスルームの水は出ないわよ、でも床は濡れてるのよ〜(意訳)」
その空きベッドは、じめじめと凹み、バスルームはシャワーも洗面台も水が出ないのになぜか床には水が溜まっている。どよよん。
けっきょく泊まらなかった。
レセプションに戻ってマネージャーと散々もめた末、デポジットと前払いの1泊分を取り返して建物を後にする。くーーっ 今晩どうしよう。
挫けそうになったところで YWCA を見つけた。予約なしでは駄目なんだけどと言いながらも、清潔なシングルルームに泊まらせてくれた YWCA 、ありがとう。
しかし、インドのドミがどこもあんな地獄絵図のようかというと、そういうわけでは決してなく、コルカタの HOTEL MARIA はじつに居心地がよい。
1999年、ダージリンから南下してきて泊まった MARIA のドミ。
広い部屋にベッドが10か11、手を伸ばしたら隣のベッドの人と手を繋げそうな間隔で詰め込まれてあったのだけど、天井が高く、大きな窓が2面にあって明るく風通しがよかった。そのうえわたしは運良くいちばん奥の窓際をあてがわれたので全く問題なし。
滞在者のおおよそ半分はマザーハウス(マザーテレサ創設の福祉施設)へボランティアに通い、他は用もなく長逗留しているという感じだった。わたしは書くまでもなく後者なわけですが、でもなんだか毎日和気あいあいと楽しかった。
ある夜、スペイン人だったかイタリア人だったかの女子が土産物屋で笛を買ったと嬉しそうにしていて、周りに、ボラれたやろ、騙されたんやろ、音出るんかなどとからかわれながら、「なによー できるわよー」と、ぴーぴーぽーぽー吹き始めたのが、メイドインジャパンの名作アニメ、" アルプルの少女ハイジ "の主題歌だったのでびっくりした。
「子供の頃のいちばん好きなアニメ」だそうで、他の欧米人たちも知ってると言う。ほぉ〜。
ところであのおじいさんの飼ってる犬の名前なんだったっけって話になり、えーと、えーと、え〜〜 あ〜〜、誰が思い出したのか、「ヨーゼフ!」と叫び、ああっ、そうそう、ヨーゼフ!ヨーゼフ!と皆で大笑いした、そんなことで大笑いできる楽しい部屋だった(悪いものを吸ったりしなくてもですよ、ほんとに)。
4年後、ふたたび訪れたときはドミが満室で、別棟というか、裏庭の物置みたいな掘建小屋シングルルームに荷を解いた。
コンクリートの床にベッドが置いてあるだけで、これだけ素っ気ないと逆に清潔感がある(ような気になる。好きに掃除できるし)。
そうして、前回ここのドミで知り合ったTちゃんと再会した。代替わりした路上のチャイ屋で日に何杯もチャイを啜ったりもした・・・
・・・・と思い出ばかり綴ってしまってぜんぜん宿の話が進まない。
インド宿も前編と後編に分けることにして、
後編へつづく。
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