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"鋭利さ"を持っておくことの大切さ

人から言われたことや、自分の身に起こったこと、自分を取り巻く環境…すべてをありのまま受け入れてしまっていいほど、
世の中は綺麗ではありません。

悪意を持って発言をする人、自分の機嫌次第で平気で人格否定をしてくる人、アドバイスをしているようで馬鹿にしかしていない人。

それらは自分の成長を妨げてくる、受け入れなくてもいい人たちです。

どうしてこういう考え方になったのかというと、私は子供の頃からかなり大人しい性格で、上手く集団生活に馴染めませんでした。

小学校中学年の頃、クラスの男子に「お前生きてる価値ないよ」と言われ、当時の素直に何でも受け入れてしまう私は、自分には本当に生きている価値がないんだと思い込んでしまいました。

今思えば子供とはいえ、人としてありえない発言ですよね。

それが完全なきっかけという訳ではないのですが、他にも色々な要素が重なって心のどこかでずっと強い劣等感を抱いており、思えば20代前半くらいまで、人からの発言に過敏に反応し、ちょっとしたことで深く傷ついていました。

正直、今もその思考の癖は完全に抜けてはいないのですが、以前よりかは全てをありのまま素直に受け止めてしまう…ということはなくなったかなと思います。

自分の中でどういう変化が起きたんだろう?と考えてみたところ、一番は「善悪の物差しをしっかりと持てるようになった」こと。

次に「自分を大切にして、ある程度図太く構えられるようになった」こと。

まず「善悪の物差しをしっかりと持てるようになったこと」についてですが、これは自分の身に理不尽が降りかかった時に、主観で捉えずに俯瞰するということです。

例えば、私は最近転職先の会社で、とある上司からこれまでの経歴を馬鹿にするようなことをけっこうダイレクトに言われました。

これをありのまま受け入れてしまうと
「この会社に私は相応しくない能力の低い人間ということを言いたいんだ…」と、なります。

けれど、善悪のジャッジを自分の中できちんと下したうえで咀嚼すると、

「この人にも少なからず人事権はあったはずで、私の経歴も見ているだろうに、後からグチグチ本人に言うのはあまりにも愚鈍。心の中に入れる必要なし。」

「なんかイラついていたのをたまたま近くにいた私にぶつけただけかもな。心の中に入れる必要なし。」

という結果になります(笑)

もちろん、何か非難をされた時に、自分のミスが原因の場合は、しっかりと反省をしなければなりません。
そして、対策をきちんと取って、次に繋げる必要があります。

けれど、理不尽なパワハラ的発言をする人に共通して言えることは、あなたが原因でその人を怒らせているというよりかは、その人が勝手に怒ることを選択しているだけなんです。

また、これはあまり良くない思考かもしれませんが、人は心の中でならどんなことを思っていてもいい、とも思います。

例えば、時代錯誤のセクハラをしてくる野郎には「キッショ、◯ね」と思っていいし、部下を召使か何かと勘違いしているような上司には「調子乗んな老害が」と思ってもいいんです。(あまりにも口が悪すぎるかもしれませんが、それでもいいんです)

人間は、悲しみや怒りを受け止めるのには限度があります。

だから、たった一つしかない自分の心が壊れてしまわないよう、ブレない鋭利さを奥底に忍ばせておくのは、一つの処世術だと思います。

もし、あなたが理不尽な目に今遭っていて、なかなか周りに相談もできないような状況なら、他でもないあなた自身があなたの心を守ってあげてください。

害にしかならないような言葉は、あなたの人生にとって一切必要のないものだから。

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