『最後の曲』の話 ~蓮ノ空2ndライブのこと~
103期が終わった。そして104期がやってきた。愛おしい程に楽しい6人との時間はここで区切り。『別れがあって、出会いがある』そんな瞬間だった。
この文章は、103期最後のライブとして開催された『ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ 2nd Live Tour ~Blooming with ○○○~ 兵庫公演Day2』で披露された『明日の空の僕たちへ』の備忘録。
「103期の6人で披露する最後の曲です」
当たり前に過ぎていく時間の中を一緒に過ごしてきたからこそ、この『最後』という事実は分かっていたし覚悟もしていた。
でも僕は正直この言葉を聞きたくなかった。心の底から。
理由は『寂しいから。』本当にただただそれだけだった。
このライブにおいて103期の歩みを振り返ってきて、ツバサ・ラ・リベルテで泣いて、Link to the FUTUREで泣いて、抱きしめる花びらで泣いた。もちろんその他の曲たちも。103期の集大成であることは確かに寂しいことだけれど、ここまで歩んできた時間と軌跡を振り返って、一緒に共有したうえで104期という新しい季節に向かうものだと信じていたから『これまでの思い出』に涙することはあっても『寂しさ』に涙することは決してなかった。その中で、常にこれが区切りだって思って見ていたし心に刻むんだって思いながら見ていたはずだった。
でも、『最後』って言葉を聴いた時、僕の中で何とかして保っていたであろう均衡が崩れたような、そんな感覚だった。軌跡を振り返った時に見えるたくさんの煌めきとそれを見続けてきた思い出という感動で流した涙は全てこの時に『寂しさの涙』になった。103期という時間の『最期』という事実にただただ寂しい気持ちが自分の中で溢れ出てきて、崩れ落ちてむせび泣くことしか出来なかった。むせび泣くなんてそんなものですらなくて、誇張でもなんでもなくもはや嗚咽で。時間と軌跡を重ねれば重ねるほど募る蓮ノ空6人への想い。その『最期』を前にしてどうしてそれを真直ぐに受け止めることができようか。
初めての生放送をリアタイして、Dream Believersをフラゲして、OPENING LIVE EVENTで蓮ノ空に救われて、そして7月からはFes×LIVEを現地でリアタイするために鼓門にも行ったし、徳光海水浴場にも金沢城にも県立図書館にも行った。週3回のWith×Meetsを毎回楽しく見て、活動記録と毎月向き合い、時には活動記録を見て、居ても立っても居られなくなって金沢に駆け出したこともあった。1stライブでは6人と一緒に金沢から福岡にも飛んで最初から最後までを目に焼き付けたし、2ndライブでも全てをこの目で見てきた。それだけ彼女たちのことが大好きだった。103期の蓮ノ空が。101期生の偉大な先輩が繋いでくれた蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブが、どうしようもない程に大好きだった。
そんな状態で聴いた『明日の空の僕たちへ』はまさに103期という時間を全て詰め込んだような歌だった。1stライブの時にも聴いた曲なはずなのに、あの時とは全く違う歌。これが時を重ねていくこと、前に進んでいくことなんだなって。
彼女達の歩んだ時間。不揃いだった歩幅も『キミとなら』って乗り越えてきた。そんな楽しいも苦しいも嬉しいも辛いも。思い出となって全て『キセキ』として間違いなく残っている。
僕にとってもそう。蓮ノ空に出会った時から感じるものは沢山あったからこそ彼女達と『何処まで行けるだろう』って。そうやって始まって、夢中でかけた時間は決して消えない『キセキ』になったんだって。
『花咲きたい!』と願った1人の少女が歩む道。ある種決められた道から、何とか逃れようとした日野下花帆の姿を見て僕たちはその背中を押してきたし、それと同時に彼女が『一緒に花咲こうね!!』ってこちらの背中を押してくれる。お互いがお互い、奇跡のように出逢ってお互いに背中を押しあって、1年間の歩みは確かにそうあった。今日こうしてひとつ彼女は花を咲かせたのと同時にそれを応援する『蓮ノ空のこと好き好きクラブのみなさん』だって彼女の太陽のような明るさで笑顔の花が咲いたはずだ。
『叶えた夢』と『叶えられなかった夢』。その先に待つまだ見ぬ104期への期待と不安。「例え何があっても変わらないよ」って言葉は僕にとっては蓮ノ空と過ごす時間そのものだった。103期が終わっても、104期生が加入しても、決して変わることのないこの胸にある思い出。それは彼女達にとっても、僕たちにとっても同じものだからこそ、未来にも変わらないよって言えるんだと思う。
蓮ノ空のみんなとの103期という時間は苦しい想いも悔しい想いもそしてもちろん最高に楽しい想いも嬉しい想いもあって、そんな日々を歩幅を揃えて、どんな涙も分かち合ってきたから全部全部愛しいものなんだって。積み重ねたものは重ねている瞬間はそうでなくても確かに歩んできた道があることをいま感じた時に愛しく思えてくる。そういうものなんだろうなって思うけれどそれを感じたのがイマだった。
諦めていたから手を伸ばそうともしなかったあの時とは違って、いまは翼が、自由への翼があるから求めようとする。そんな彼女が、いや彼女達が約束のその場所へ手を伸ばしていた。それもまた確かに僕が蓮ノ空と一緒に過ごす中で見てきた彼女達の姿であり、それを応援する僕自身の姿だったのかなって。
夢を見ながら明日に向かっていく彼女達はお互いの顔を見て、少し不安そうな表情で『何を想い 何を知るのだろう』って。変化が苦手な僕にとってこの瞬間も変化の瞬間が刻一刻と迫っていることに不安になっていた。だからこそ、あまりにも大好きで幸せで愛おしい『今』がずっと続けばいいのにって、本気で思った。いまがずっと続いていくこともましてやもう一度この時間を繰り返せないことも分かっているはずなのに、それでも本気でそう思った。いつまでもこの景色を見ていたいって。僕は強がったのかは分からないけれど、僕の心の声は信じられないほどに震えてた。
『今がずっと続くわけじゃない』ってことはめぐちゃんにとっては救いだったかもしれないけれど僕にとっては怖いことだった。だからこの歌詞を聴いてまた涙することしか出来なかったんだと思う。
『例え何があっても変わらないよ』って、叶えた夢のムコウの僕らに想いを馳せながら誓うのって凄く勇気がいることで。
104期という名の『明日ノ空』に向かう彼女達を見てもなお、その瞬間には一緒に見上げることが出来なかったことだけが僕が悔いたいことだった。ずっと103期の4人から6人へ、そしてその6人の決断をずっと見守って、同じ方向を向いてきたつもりだったけど、103期という時間に唯一後悔があるとするならばこの瞬間だったのかもしれない。
きっとこの曲の最後にはみんなで一緒に『何があっても変わらないもの』を胸に抱えて『明日ノ空』を見上げる時間だったんだろうなって。僕自身が一緒に見上げることは出来なかったかもしれないが、でも、小指を立てて未来に誓う6人の姿は目と、心に刻み付けたつもりだ。
その時に僕が手にしていたのはエンジェルホワイトに輝くサイリウムじゃなくて、零れ落ちる涙を拭うための『~Blooming with ○○○~』のタオルだった。涙で視界が揺れる中、その一瞬も見逃さないように目に焼き付けようとした時間だった。その結果だから確かに悔いが全くないかというと嘘にはなるが、逆にそんな寂しさを感じながら大切にした時間があるから次に進めるんじゃなかって。だから佐々木琴子さんの「楽しい思い出が出来るとまた楽しい思い出が出来る予感がする」って言葉は僕にとっては凄く救いになったし、103期の6人との最高に楽しい思い出があるからきっと大丈夫だって思えた。
『明日の空の僕たちへ』を歌い終えて、『明日ノ空』に向かっていく6人の背中を見て、また僕は寂しくなった。「行かないで」って。「もっと大好きな6人を見ていたい」って。
今日が終わって明日が来ること。そんなの当たり前だ。103期が終わって104期がやってくること。そんなの当たり前で。
103小節目が終われば104小節目がやってくるのだから。音楽を止めない限り。あの6人が舞台裏に下がっていく瞬間は『蓮ノ空女学院』という音楽の103小節目と104小節目の間にある小節線の上に立った瞬間だったんだなって。
こうして103期は完全に幕を閉じた。時はもう戻らないし、もう1度同じ時間を繰り返すことはない。
104期という『明日ノ空』に向かっていく6人の背中、決してこちら側を振り返ることはなく見えなくなっていくあの背中。その瞬間に走馬灯のように蘇る103期の思い出。約2年前に、少し似たような背中を、ここと近い大阪の地で見ていて、またその時と同じようにその背中を見続けることしか出来なかったけど、たぶんそれで良いんだと思う。その6人の背中も、その時に感じた想いも、僕は未来永劫忘れることはないだろう。
この日常がこれ以上新たに紡がれることはないからこそ、これまで紡いできた時間も思い出も忘れたりしないように、残してくんだって。
365日をともに過ごしてきた時間は当たり前だけれど変化し続ける『日常』から、変化することのない『永遠』になった。いや、正確には永遠にしようと誓ったものだったのかもしれない。形あるものは全て変化していく。曲という形があるものは伝統として引き継がれたとしてもそれは同じものがただ時間の経過とともにあるだけじゃない。この世の中で『変わり続ける』ということだけが『変わらない』ことだから永遠なんてものはない。きっとこの感動も時間が経てば薄れていくんだと思う。でもだからこそこの『365 Days』を全力で駆け抜けたこと、そして次の季節に向かう6人の背中を見たことを誇りに思って歩んでいきたい。
この1年間、たくさんの楽しい思い出をくれたことへの最大限の感謝と、次の1年間も同じように、いや、これ以上に楽しい思い出を作れることへ期待を込める想いで送った拍手は、6人の背中を押しただろうか。明日ノ空に向かう力になっただろうか。
103期の終わりがこんなに寂しくて辛かったからきっと104期も大丈夫だと思う。全力で蓮ノ空との時間を過ごせると思う。それに実際に104期のDream Believersだって、3ユニットの伝統曲だって、新曲の365 Daysだって、新しい魅力と思い出の始まりになったんだから。そんなの『また楽しい思い出が出来る予感』でしかないじゃないかって。
いつだって大どんでん返しを見せ続けてくれた蓮ノ空。104期もどうなるか分からない明日への楽しみがあることは間違いないし、2度と同じ時はないことを103期が改めて教えてくれたから、いつか来てしまう終わりを否が応でも感じる時間だったから、きっと明日も笑っていられるんじゃないかって。『もっとミライがおもしろくなる』って信じられるから、まだ見ぬ『予想外のミライ』を見たいって思える。
別れがあって出会いがある。そんな季節を過ごすいまを僕は大切に出来たって、それだけは胸を張って、自信を持って言えることなのかな。
改めて、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ第103期、本当に最高に楽しい思い出をありがとう。絶対に忘れません。
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