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子供を所有するってそうゆうことなんだ!〜次男はティーチャー?〜








いつも不安で生きてきた
アラフィフみよちです


心の病みで真っ暗だった50年



そこから一転


本質的な幸せを感じられる心を
取り戻すことが出来た



そんな私の
過去や今のストーリー
を綴ったブログです




私は東北で暮らす、50代のパート社員。
離婚して、今は高一の次男と暮らしている。
長女、長男は父と暮らしている。



私には、【母なる母】がいる。
(毒親育ちの私だけれど)


その人は、私の母の姉。叔母に当たる人。


この叔母を【母なる母】だと知ったのが50もなった頃だった。


それまでは、あまり好きではなかった。どちらかと言うと苦手…。



私は、八方美人だった。



すぐ人に合わせて、相手が気にいる様なことを読み(あくまでも【私】が気にいるだろうと思い込んでいるだけ)話しを合わせていた。


(もちろん気づいてなどいなかった)



私の周りで唯一、叔母だけはそれをハッキリと指摘しておかしいと言ってくる人だった。いつも、なぜこの人は私に【嫌なこと】を言ってくるんだろう。いつも憂鬱になる。だから会いたくない人だった。




叔母は母と2人姉妹。


戦争で父を亡くし、女の手ひとつで育てられた。

その母から、ハッキリと妹はかわいいけれど、お前は可愛くないと言われたと言う。このクソババ〜っ!早く自立してやるっ!って、それを糧に生きてきたと笑いながら言う。無理矢理見合い結婚をさせられて、あげくDVを受け、昭和の離婚がまだ珍しい時代に、祖母と子供を連れて逃げ、必死で生きた。


叔母は

【自分の心が晴れとする方に進む】

ってよく言う。


そんな叔母に、【心が成熟した男性】が登場した。その男性から会社までもらった。


…結婚するって決まったけれど亡くなってしまった。



だけど、その【心が成熟した男性】と出会えたことは、一族では素晴らしいことだったと私は思う。私の一族は父性がないに等しいのだから。



自分の心が晴れとする方にいつも進んだおばちゃんにやってきたギフト。



もちろん、母は嫉妬した。





私小さい頃から、ずっと疑っていたことがあった。誰にも言えず、ひとり悩んでいた…。それは…。


『おばちゃんは本当は私のお母さんでは?』


って。

顔だって、よく似てる…。視力だって私だけ家族で悪い。おばちゃんは目が悪し…。なんて、無理くり理由をつけては悩んでいた。


ようやくわかった。その悩みが。


『おばちゃんがお母さんだったらよかったのに』


そんなシンプルなことを抑圧しただけだった。


抑圧って(受け入れがたい感情や欲求を無意識に抑え込んで気付かない様にする事)って私は認識している。



いつも従姉妹と遊んでいると、おばちゃんに甘えて身を委ねる従姉妹が羨ましい…。って見ていた。それを抑圧して、痩せ我慢していた。



それに気づいたのも、50過ぎてから。




【母なる母】だと思ったきっかけは離婚の時だった。

母から話しを聞いた叔母が電話をかけてきてくれた。

【どうしたの?】


その一言から苦しい胸のうちを話した。


『どうせわかってくれないだろう』って思いながらも。



泣きながら、話しをした。何度も同じことを言ってるのかもしれない。だけれど、叔母は、話を折ることもなく、途中で自分の意見や感情をいれることもなく、否定することもなく、ただただ『うん』『うん』ってずっと聞いてくれた。そしたら、心が軽くなって、暖かくなっていった。


あぁこれが『人の話しを聞く』ってことなんだって。


私が母に話しをすれば、最後まで聞いてくれず、そんな事ぐらいで!とか、我慢しろっとか。話を自分の話に変えられたり…。『わかってなんてくれなかった』それが当たり前だった。



そして、私も子供達にしていた。当たり前の様に。こうやって『話しを聞く』をしてあげれたら、子供達だってどんなに心が軽くなって、暖かくなったのだろうと。ただただまた、泣けてきた。その日から【人の話しを聞く】をする様になった。未だに折ったりするけれど。日々トライアンドエラー。



そんな事から叔母と仲良くなり、たまに食事をしたりしていた。前は気に入られようとして考えながら、話しをしていたけれど、思ったことを自由に話せる様になった。…そして。私たちには共通していることがあった。


それはいつも母(妹)からとられる。ということ。


搾取する人と言うのかもしれないけれど。



小さい頃から、私も叔母も同じ目に遭ってきている。誰にも言えなかったこの事を、お互い分かり合えるという仲!お互いやっと言えた!きっと癒えた!



私にしたら50年。叔母は70年くらい?

理解して、共感できるなんて本当ありがたいって思う。


そして、先日も久しぶりに会ったのだけれど…。


何かの話しから【私は自分の娘を所有していないから…】っておばちゃん。


ん?


【私がブロッコリーをもらった。でも間に合っている。娘に『ブロッコリーいりますか?』って聞く。『要りません』って言われれば『わかりました』で、終わり。みよちのママはどうかな?いらないっていっても『いいからもらえ』って渡さなかった?】



…そっか。私はいつも『いらない』って言っているのに賞味期限切れや、腐りかけのモノ、私が不要なものを無理やり押し付けられていた。


モノだけじゃなくて、全てにおいて。



…。




私、前に次男に何度か注意されていた。なんでなのかわからなかった。



皆で食事をしていた。長男の好きなものを譲った。だけど『俺はいいかな…』って言った。だけど、「食べなよー」って言ったら、見ていた次男が【要らないって言ってるだろ?】って怒ってきた。



雨降りそうだから、長男に送迎すると言った。いや大丈夫だからって長男。だけど「せっかくだからー」って言ったら次男が【いいって言ってるだろっ?】って怒ってきた。


なんで怒ってるのかサッパリわからなかった。


…そっか。
子供達は所有されていたんだね…。


所有なんてしてないつもりだった。
つもりだけだった!!



次男はいつも、私から所有されているのが嫌だったんだ…!



次男はティーチャー?



前も聞いたことと、違うことを答えているって教えてもらったし…。





私の様な心が成長していない人には、やはり心が成熟した人が必要。叔母がいて助かった!



年に数回会うだけの【母なる母】だけれど。その度に
色んなことを学ばせてもらっている。



昔…。私の周りに『心が成熟した人』なんて【いない】って思い込んでいた。私含め、一族は病んでいたし。だから【ない世界】でない、ないって探していた。


でもいた!こんなに近くに(笑)



小さい頃から当たり前にされてきた事って、当たり前の様に人にもしている…。自分の歪んだ当たり前を気付かせてくれる叔母や子供達に感謝している。




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