大変申し訳ないけれど…〜とっても不味かった!〜
いつも不安で生きてきた
アラフィフみよちです
心の病みで真っ暗だった50年
そこから一転
本質的な幸せを感じられる心を
取り戻すことが出来た
そんな私の
過去や今のストーリー
を綴ったブログです
私は50代のパート社員。離婚して、今は高一の次男と暮らしている。
長女、長男は父と暮らしている。
今月は母の誕生月。
去年の母の誕生日に、長女がお皿、ティースプーン付きのマグカップをプレゼントした。
いつもコーヒー飲むし、可愛いから、これにした!!って言っていた。
『ババが涙を流すほど喜んで…!』ってびっくりして私に連絡をくれた。
…へー!良かったね。よっぽど嬉しかったんだね!なんて話したけれど。
…。
【私は】母とのプレゼントには、いい思い出があまりない…。
小学生の頃から【自分の趣味や、欲しいものを人にプレゼントするなんておかしい!】って、怒られたことがあった。
社会人になって、父とラーメン屋を始めるから【ペアのエプロン】を贈った。
だけど、首からかけるタイプで肩が凝るから、使わないって、最終的には私が使った(笑)
私、結婚してからは、とっても貧乏だった…。でも、何もないのも…って、すごく安いケーキを買ってあげたことがあった。
そして、次の日。
「大変申し訳ないけれど、とっても不味いケーキだった。兄もこんな不味いケーキはないって、言ってる」
って。
謝った(笑)
ここ数年で、やっと、気がついたのだけれど…。
私は形だけしかなかった。
子供達に対しても、誰に対しても。
誕生日だから、クリスマスだから、【何かをあげなければはならない】ってしか、なかった。
その子が欲しいもの、喜ぶものを【本当】に考えてなんていなかった…。
形だけで、心がない。
まさにそうだった…。
私は小学生から、親からプレゼントされるものは、ほとんど【ぬいぐるみ】だった。私はぬいぐるみが好きって思ってた。
【あなたはぬいぐるみが好きなの】って親にも言われてたし。
【自分がない】から、そうだと思った。
私はそうなんだ!って。
いつか、あまり好きじゃないぬいぐるみをプレゼントされた。名前まで親に決められて。
『アキちゃん』って。
お母さん、なんでこの子は『アキちゃん』なの?
って聞いてみた。
かわいくて、『アキちゃん』って感じじゃない。だからこの子は『アキちゃん』ね。って。
さらに、家を出る時に『アキちゃん』だけは連れていって!と、持たせられた!
母だって、私にくれたのは、自分の趣味だった!
笑
我が家は、小さい頃から、母のスナックで生計を立てていた。ヒモの父と、兄、私で借家で暮らしていた。夜になれば親は、どちらも家にいない。喋らないぬいぐるみと、ひとり何役で過ごしていた。
ぬいぐるみより、お母さんから話を聞いて欲しかった。だけど、自分たちの為に働いているお母さんに、そんな事など言えるはずもなく…。ぬいぐるみだけは増えていった。
ここ数年、私と、母は、お誕生日プレゼント的なやりとりはしていない。
母の日はたまに、昔から鉢植えでカーネーションをあげる。母は喜んで、庭に植え替えたりしている。
たまに顔を出すと、その植えたカーネーションを見て、
【あのカーネーションはいついつの…。このカーネーションはいついつの頃で、何何があった…。】ってうれしそうに話す。
50過ぎても、母が憎いだ、嫌いだなんて心底思っていても、私があげた花を大事にして、その頃あったことを話す母をみて、嬉しく思った。カーネーションを送ったことに満足した。
【関心が欲しかった】
私はずっと、母からの【関心が欲しかった】
50過ぎてもカーネーションを通して【関心を持っていてくれた事】が嬉しかった。キレイなカーネーションをみて、癒されて…。
私のことも思ってくれるのだから。
今年は、暖簾がボロボロになって変えたいから、いいのあったら買って来て〜。お金はお支払いするからって、言われていた。
探していたら、とっても可愛いのがあった!きっとこれは喜ぶ。そう思って、渡した。誕生日プレゼントとして。
とっても気に入って、何度もみていた。『可愛い〜!』って。その姿を見て私も満足だった。
どうでもいいようなケーキを買うより、よっぽど良かった(笑)
本当に私は昔
【自分がない世界の住人】だった…。
助けてくれない、守ってくれない、信じてくれない、愛してくれない…。
見てない(見てくれない)
聞いてない(聞いてくれない)
話さない(話してくれない)
考えられない(考えてくれない)
時間もお金も余裕も…。ない。
自分のことも考えれないから、人のことも考えれなかった!
【自分がない世界の住人】ってことが
気づけなかった…。
母は80歳過ぎ、私は50過ぎ…。
だけど、ようやくここまで来た(笑)
何事も気付かなければ始まらない。
そして
気づけば行動が変わるのだから。