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正月、伝統の、そして伝説の遊び
今年も残すところ一ヶ月をきった。師走の声を聞くとそれだけでそわそわするのは、ああ、もう年末だというだけでなく、新しい年を迎える高揚感が、幾つになっても胸の内に沸き起こるからだろうか。
幼少期の思い出の中に、正月とは、離れて暮らす親戚一同が集結する大切な行事として今も心に残っている。
父、5人兄弟、母、9人兄弟。その兄弟姉妹が勢揃いする、それはそれは賑やかなものだった。
父も母も戦中派。終戦を迎えたのは10歳の頃、食料も物資もない中を、懸命にくぐり抜けてきた人たちだから、強くて、明るくて、とにかく家族思いだ。
若くして亡くなった2人の祖父を、私は知らない。両親は、母親、つまり私の祖母を大事にしていたし、祖母も子や孫を心底可愛がってくれていた。
私の楽しみは、どちらの家に集まっても、それぞれに盛り上がる、たぶん家族特有の遊びだった。
父方の集まりでは、よく漢字ゲームをした。“さんずい”、“にんべん”と、お題が出されると、順々に漢字を書いていき、誰が最後まで答えられるかを競うのだ。その辺にある新聞も本も、カンニングOK。だから当時一番幼かった私でも参加できた。今思えば、いわゆる“文系”家族ならではの遊びだった。
ある年、一番遅く起きた人が偉くて、祖母からおやつを貰えるという、ちょっと変わったルールが出現した。私はとっくに目が覚めていたが、兄たちが起き出すのを布団の中で待って、一生懸命寝たふりをしていたのを覚えている。孫たちが騒がしい盛りで、忙しい朝はゆっくり寝ていて欲しかったのだろうと、今では察しがつく。
祖母はチビという犬を飼っていて、餌をやったり、散歩に行ったりするのを、ちょっとだけ手伝えるのもすごく嬉しかった。
母方は、一段と大家族で、いとこの数もずっと多い。こちらの祖母は寡黙な人だったが、その人格をガラリと変える遊びがあった。
『宝引き』という。
ちょっと太めの紐を人数分束ねる。一本だけ、反対側に5円玉の塊がぶら下がっていて、これがお宝。祖母が全ての紐をぐるっと手に巻き付け、
「えいっ!」
と座布団に叩きつけると、みんな我先に飛びついて好きな一本を取る。最後に残った一本は祖母の分だ。
祖母は紐の束を離さない。皆がぐいぐい引くのを制して、さぁ、どの紐が当たりかと、一本また一本とハズレの紐を引き抜いていく。そして最後はなんと、祖母の紐にお宝がぶら下がっているのだ。
祖母はもちろん何ひとつインチキなどしていないのだが、この遊びの時だけは、まるで魔術師のようで、孫たちは夢中だった。
もう一つ正月恒例の遊びが、兄による福袋市。兄は私を伴い、デパートの福袋売場に並び、大きな福袋をお年玉で買い込む。そして、毛布だの財布だの鍋だの、全てに値段をつけ、大勢集まったところで、商売を始めるのだ。そう、完全な押し売り。
対して祖母や叔母たちは、ご祝儀相場で買ってくれる。毎年恒例で、必要のない物まで高値で買い取ってくれるのだ。
なんとも不思議な楽しさがあった。
家族の伝統であり、もはや伝説となったそんな遊びが、今では懐かしい。
時は流れ、以前のように大勢で集まることはもうない。ここ数年、正月には兄宅に集まるのが恒例だが、全員揃っても両手で余るほどの人数だ。
しかし、数こそ及ばないが、皆で集まれるのは幸せであり、平和だ。世界中で今まさにこの瞬間も止むことのない、戦火や飢餓のニュースを目にする度に、これは有難い事なのだと自分に言いきかせる。
浮かれてばかりはいられない。ひとりの大人として、せめて良い伝統を守り、後に繋げたい。昔の楽しかったお正月を思い出しながら、そんなことを考えている。