『伊藤比呂美の歎異抄』伊藤比呂美(河出文庫)
仕事をしていない時期というのは、人間はなんとなく図書館に行くものなのか?わたしが好きな町田康さんも仕事のない時期に図書館で端から本を読んでいたらしいし。単に暇つぶしなら行くのは公園でもいいし実際別途公園にも行っているのだけど、わたしの場合は働いている期間にもその時間と気力があったなら図書館に行っていたんだろう。働いて買い物して帰宅し夕食を食べ寝落ちていたら本を読むことは考えられないのが当たり前なので、ようやくニュートラルな状態へ回復してきたのかもしれない。
そんなわけで、通勤しなくなって約2か月、長い真夏日、夏日の期間も過ぎた最近になり、わたしはようやく図書館に行った。
一般図書のある地下へ向かい文庫の棚を見始めると、まず『饗宴』プラトン(岩波文庫)が目に入った。占星術のワークショップで一読すべしと聞いていた本である。ふむふむ。
続いて棚を見ていると、なんだか主張してくる本がある。伊藤比呂美さんの歎異抄であった。伊藤比呂美さんは、若い頃好きで家でよく詩を朗読したりしていた。背表紙の状態だと、上に作者名の伊藤比呂美があって、その下の書名にも伊藤比呂美の文字があるので、なんだか濃い背表紙なのである。取り出して見て見ると、表紙が赤くてますます自己主張激しめなようす。わたしが持っていた歎異抄はこれほど原色の赤ではなかったが、やはり赤系の臙脂色の表紙だった。
以前youtubeでお話したように、わたしの通っていた高校、大学は浄土真宗系の女子校(現在は共学)である。
入学式は花まつり(四月八日、お釈迦様がお生まれになったとされる日)で気持ち悪いほど女子ばかりが集められた講堂の壇上には甘茶をかけるためのお釈迦様の作り物一式が据えられ巨大な掛け軸のような南無阿弥陀仏の文字が掲げられていた。
入学した時に購入するものに紺色合皮の入れ物があり、その中には数珠、紺色の表紙の礼賛抄が入っている。歎異抄もそこに一緒に入っていた気がする。
礼賛抄には四弘誓願、三帰依文など一日の始まりや週一回の講堂での祈りの場で唱える言葉や歌が書かれていて、こちらは頻繁に使ったのだが、歎異抄については開いた覚えがあまりない。ないが、何となく捨てられず実家の本棚の隅のほうに立ててあったはず。
そんなわけで『伊藤比呂美の歎異抄』を読んでみた。
歎異抄は、ご存じの方も多いと思うが、親鸞の弟子唯円が親鸞の死後に師匠の教えが正しく伝わっていないことを嘆き書いた書物である。本書では、その歎異抄のほか、和讃、親鸞書簡、正信念仏偈などが、母鳥が小鳥に餌を与えるかのごとく、比呂美さんの体を通して嚙みくだかれ組み立てなおした言葉でかかれており、その合間合間にアメリカと日本を言ったり来たりしていた旅の様子が描かれている。
本のなかで一番心に残ったのは、「自然(じねん)」という言葉。意味は「自分の力でものごとをうごかさないこと」「おまかせすること」。9月末に行った出羽三山で心に残ったこととも通じる気がした。スピリチュアルの世界で言われるサレンダー(手放すこと)とも近いかもしれない。
また、親鸞の書簡の中に、六角堂で見た女犯(当時の僧的には単純に女性と関係を持つことではなく妻帯をさすもよう)に関する夢に色っぽいことを言う観音様が出てきたり、晩年に息子へあてて書いた絶縁状などもあり、篤い信仰のなかにありながら最後までわたしたちと同じ世俗に生きたことが親鸞らしいなと思った。
あとがきでは、本のなかで話題に出ていた比呂美さんのお父さまや2階に上がってくるわんこやお父さまのわんこや夫の人が亡くなったことや、日本に連れてくることがかなわなくなったわんこのことが簡潔に記される。その事実が胸にせまって何だかじ~んとしてしまった。
人生はバケツリレーだと思う。
仏法に触れられるありがたみは正直いまいちわかっていないけれども、受け難し人身と、受け難し人からのあたたかさや叡智を、期せずして受けてきた。先を歩いていた人々、共に歩いてきた人々が亡くなり自分がこの世を去る前に、のちの世を生きる人々に自分が何を残せるか。できたらバケツの中を、クリスマスプレゼントのように何かキラキラしたものたちでいっぱいして、この世を去りたいものである。