【社説】パワハラがあったなら裁判で決着を(兵庫県)
兵庫県知事・斎藤元彦氏に関するパワハラ疑惑をめぐり、県議会の百条委員会が「おおむね事実」とする報告書案をまとめた。しかし、この報告書の公正性や信頼性には大きな疑問が残る。証言の信憑性、委員会の運営方法、さらには政治的な意図が色濃く影を落としているためだ。
まず、パワハラが本当にあったのなら、百条委員会ではなく司法の場で解決すべきである。日本には労働基準法や労働審判制度があり、被害者が具体的な証拠を持って提訴すれば、公正な審理が行われる。行政の監視機関であるはずの百条委員会が、特定の政治勢力の意図を反映し、証言の選別を行い、一方的な結論を導き出しているのではないかという疑念を払拭できない。
また、「おおむね事実」という表現は、非常に曖昧である。「一部事実と異なるが、全体としては認められる」と読めるが、どの部分が事実であり、どの部分が疑わしいのかは明示されていない。このような曖昧な表現が許されるのであれば、どのような人物に対しても容易に「おおむね事実」との烙印を押すことが可能になり、政治的な攻撃手段として利用される危険性がある。
一方、県議会側の対応にも問題がある。百条委員会は、法的な拘束力を持たないにもかかわらず、事実認定を行うかのような立場を取っている。さらに、証言の多くは伝聞や推測に基づくものであり、明確な証拠が示されていない。これでは、政治的な意図による「印象操作」と受け取られても仕方がない。
こうした状況の中、報道機関の責任も問われるべきだ。新聞各社は「おおむね事実」とする報告書案の内容をそのまま報じるのではなく、その根拠や信頼性を慎重に検証する姿勢が求められる。政治的なバイアスを排し、客観的な視点で問題を報道することこそ、メディアの責務である。
パワハラが本当にあったのなら、裁判という公正な場で白黒をつけるべきだ。司法の判断を仰がずに、政治的な思惑が絡む委員会で事実認定を行うことは、行政に対する不信感を増幅させるだけである。県民は感情的な議論ではなく、冷静で公正な判断を求めている。