見出し画像

「よく生きた〜!」お墓探しの終着点。

昨年の夏に母が亡くなり、お墓を探すことになりました。両親は、先祖代々のお墓は持っていなかったし、ひとり娘(私)は結婚して遠く横浜に住んでいるし、考えた末、娘夫婦のお墓に入ることを遺言として希望した母。そんなわけで、一からお墓探しをすることに当時は途方に暮れましたが、そんなこんなでお墓探しの旅がスタートをすることになりました。

いい立地で立派なお墓がいい?
死後は何も分からないから、何でもいい?

色々な考えがある中で、
私と夫が話し合って決めた2本柱は

・管理を未来永劫に託さなければならないようなお墓で子どもたちを縛らないこと
・会いに来てくれた人が心地よいと感じてくれる場所であること

そんな中で
担当者さんが、紹介してくれたのは
広大で人気No. 1の場所と
もうひとつ
思いついたように教えてくれた場所。

どちらも見晴らしが良くて母は喜びそう。
3ヶ月ほど結論が出なかったけど
ベランダで愛犬豆柴🐕と夜風にあたってたら
ふと心に降りてきた

よし決まった
人気の場所No. 1ではない方に 笑

そこは動物も一緒に納骨できる広すぎない場所だった。動物園が近くて、緑が濃くて来てくれた人が気持ちいいと感じる高台の霊園。
そして動物も🐕一緒に眠れるお墓。
そう、決め手は、なんと昨年の秋に家族になった愛犬豆柴だった。

物事を決める時は、自分が何を大切にしたいか気付くきっかけになるものだ。

私は仕事柄、日々死に直面する。そんな時患者さんや家族の気持ちに心を馳せる。人間はいつかみんな土に還ると思ってはいても、別れや死が悲しくてツラいと涙する場面をリアルに見てきた。

だから、
当事者も残される側も
「お墓の中で一緒だからきっとつらくないね」と何か救いになるものがあったらいいなと思った。それが愛犬の存在だった。

「死んだ後」なんてどうせ何もわからなくなるんだからどうでもいいとサッパリ考える人も多いと思う。それも真理だ。でも私にとってお墓は、「死んだ後」ではなくて、「生きている今」を幸せにするお守りのような存在のようだ。だからどうでもよくはないことがわかった。

そういうシンプルなことに、ベランダで
愛犬豆柴と夕涼みしていたら気づいた。

考える時間をちゃんととって良かった。
最後は自分らしい選択をしたと思う。

お墓のことはまだノープランの人も
すでにもう決まっていて選ぶ必要のない人も
最期を考えることで
自分自身が何を大切にしてるのか
見えてくるのかもしれない。

お母さん、笑ってるだろうな。
なんで1番人気じゃない方?って。
なんで決め手が🐕?
でも賛成してくれると思う
秋には納骨してあげれるからね
待たせてごめんね

決めたその霊園に「よく生きた」と
お墓に掘ってあるのを見かけた。
笑ってしまったけど、
うーん、いい言葉だなぁと思った。
どんな最期でも、私もよく生きたなぁ〜!と、そう思って伸びをしてお墓に眠りたい。
母と、多分いつかは父と愛犬豆柴の待つお墓に。(あ、順番はわからないけど夫も 笑)
.
.





いいなと思ったら応援しよう!