【日記】大震災から30年後の「日常」

日常の朝。顔を洗ったり、髭を剃ったり、身繕いを整えながら、テレビのスイッチを入れる。ここのところはABCテレビの「おはよう朝日です」だが、火・金は、頃合いを見計らって、フジテレビ系「めざましテレビ」にスイッチ。何の「頃合い」かというと、アニメ「ちいかわ」を見るため。誰もちゃんと見ているわけではないが、まぁ何となく癒されるから、そうしている。そんな日常の朝を繰り返す。

本日も同様に朝を迎える。阪神淡路大震災からちょうど30年を迎えた朝。関西ローカルでは、どの局も、今週初めくらいから、「忘れまじ、1995年1月17日」という旨の特集VTRがよく流れている。そして今日の「おは朝」も同様。痛ましい30年前の映像が映し出される。。

30年前、特に大きな被害を被ったわけではなかったけれど「のうのうと無事でいてしまった」という、得も言えぬ罪悪感と、ただただ凄惨な現実に対して何もできなかった(しなかった)無力感に苛まれていた。当時の息苦しい感情が、関連する映像をみると呼び起こされる。正直心地の良いものではないが、こうした感情は、おそらく一生抱えていくべきなのかもしれない。それが自分にできる、せめてもの「心がけ」なのだろう。

「日常」を過ごすべく、今日も今日とて、頃合いを日計らって、「めざましテレビ」に変える。「めざまし」は「めざまし」で、なにわ男子が熱海の温泉を満喫してたり、ご機嫌な「日常」を放送している。どこかの時間帯で、震災のことに触れていたかもしれないが、大阪中之島発とお台場発とでの、あまりのテンションの違いに、多少モヤモヤする。

「めざましテレビ」の出演者には関係ない話だが、そんなモヤモヤから、30年前、在京のキャスターや色んな人間が「もしこれが東京で起こったと想像すると…」などとほざいてたのにムカついていたことを思い出した。「もし」じゃなくて、既に現実にこれだけのことが起きてしまってるのに、どうしたらそんなセリフが吐けるのか、と憤慨しきりだった。しかし、その後にさらにおぞましい震災が起きるなどとは想像だにしなかった。できるはずもなく。。

ともかく、何でもない「日常」があることに、改めて感謝して、日々生きていこう。

さて「めざましテレビ」の「フジテレビ」である。中居正広氏の件で、かまびすしい日々が続いているが、本日、フジテレビ港浩一社長が会見を開いた、と。

例の件の真相は自分ごときには分かるはずもない。週刊誌を買って読むことすらしてないのだから、何も語る資格はないのは承知。とにかくは心身に苦しみを持つ人が、救われることを祈るばかりである。

しかし、渦中の大企業の「社長」という立場の人が、会見で何を語るのか、というのは興味があった。勤務中のため、リアルタイム視聴はできないので、あとでその様子を見ようと思い、諸々探ってみたが、フジテレビが会見の映像をアップしている、ということはなかった(これを書いている時点で)。

そして、今回の会見の内容は、Web上で得られた情報をもとに「語弊を恐れず」記すと、以下のように認識。

  • 社長までは情報は上がっていた。社として対応したつもりだったが、できてなかったかも。

  • あとは「第三者委員会」で調査する。後報を待たれよ。

といった程度の内容しかなかったように思える。「ハッキリ言えることは限られているが、何かは言わないといけない」から、仕方なしに開いた会見、という程度にしか見えなかった。しかし、社長自ら出てきていながら、この内容の薄さ、並びに、会見の様子を自らノーカット放送(Web公開)してないのは、やはり良くない、と思う。事の真偽に関わらず、一庶民からみても、問題に対して、誠意ある対応しているようには見えなかった。

まぁ、繰り返すが、あまり語る資格もないので、ここらで留めておこう。

しかしこの会見、1月17日である必要はあったのだろうか、、ダメな理由は特にないが、これまたちょっとモヤっとしてしまった。



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