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表現の「足し算」「引き算」~Mrs.GREEN APPLE「コロンブス」に想う

昨日の記事の補足も兼ねて。
Mrs. GREEN APPLE 「コロンブス」の歌詞が「長くて難解」と述べましたが、歌詞の最後の方で「君」を知るための旅が、「舟」で進む「探検」、すなわち「航海」のようなもので、そこから「コロンブス」を想起した(あるいは逆か)ような関連付けがあった、と少し理解はしましたが、やっぱりスッキリしません。「コロンブス」要素もあり、「コカ・コーラ」的な要素も入れたい、そしてそれをMVで表現すると、、、という、なんだか「手法(手段)」先行で、本当に表現したい「目的」が見えづらくなっているように思えます。歴史上の人物や類人猿を登場させて映像化する必要性も不透明です。「仏作って魂入れず」とは言い過ぎでしょうか。その「魂」を感じ取るセンスがないだけかも知れませんが。

松本隆「風街ラヂオ」#10において、松本隆さんは

構成が複雑になり過ぎると、もうネタに困っちゃうわけ。展開がそんなにさ、もう話済んじゃってるのに、もうネタ無いよって。日本語の歌詞って、削って削って、最後に残ったのが良い詞みたいだから、削るのは簡単なんだけど、付け足すのは難しいわけ

https://www.tbsradio.jp/articles/84444/

と仰ってましたが、これは基本的に「引き算」の発想かと思います。
一方「コロンブス」には、上記のような発想は無さそうで、どちらかというと「足し算」の結果のように見えます。どちらが優れている、とか、一方が正解だ、とかの問題ではなく、むしろ「難しい足し算」に挑戦したミセスの方も、それはそれで評価されるべきかもしれませんが、、個人的には「削って削って最後に残ったもの」の方が「美しく」「ポエジャン」であると思います。

あと「長い」ことが必ずしも悪いという訳ではないです。長尺な表現になっても、研ぎ澄まされたものであれば、人の感情を食うものになると考えます。冗長なものがよろしくない、ということです。

例えば漫才なんかでは、M-1の4分も、THE SECONDの6分の漫才もそれぞれ良さがありますし、例えば以下のジャルジャルの漫才なんか、長尺なのを忘れるほど聴き入ってしまいます。


とかく思われるのは、難しいことを難しく表現するのは簡単で、難しいことを簡単に表現するのは難しい、ということです。改めて自戒を込めて。


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