笑いと教養④~日本のお笑いはオワコンじゃない
「笑いと教養①~③」で述べてきたことをまとめると、「笑い」とは「教養」や「知識」などを人々と共有したところに成り立つものであり、それは言わば「内輪」とも言える、ということです。
さて、先日、脳科学者・茂木健一郎さんが「日本のお笑いは幼稚だ」と述べた記事を紹介しましたが、その件について私見を加えたいと思います。
まず、件の記事において、茂木さんはアメリカの政治風刺番組を絶賛しておられますが、それとて言わば一種の「内輪」であることは「M-1」とも「有吉の壁」とも変わりありません。ではそれらのどれが稚拙で、どれが高尚なのか、というのはどう決まるのでしょうか。AIや脳科学がその問いに対して回答を出せたりするのかもしれませんが、結局は何らかの恣意性・主観が介在せざるを得ないのではないでしょうか。これは優れている、あれは稚拙だ、というのは結局は「それってあなたの感想ですよね」という域を出ないと考えます。
筆者は政治風刺番組を批判するつもりはさらさらないです。それで笑いを得られているのであれば、それで素晴らしいことかと思います。ただ、日本のバラエティーも(正直玉石混交なのは認めますが)、それぞれのフィールド=「内輪」で笑いを求め合い、成立しているところもあるので、それに対して「稚拙」と切り捨てるのは、根拠に乏しいと思います。所詮どちらも「内輪」であり、その「径」が広いか狭いか、どのあたりにあるのか、という違いしかないはずです。(茂木さんが批判しているようなお笑いが「日本のど真ん中」とも限りません。確かに「M-1グランプリ」は昨今のテレビ番組の中では「お化けコンテンツ」の部類ですが、それでも日本全体では「見てない人の方が多い」のです。なので「悪ふざけが『ど真ん中に』…」という批判もあたらないかと)
何だか茂木さんは、いわゆる「今どきのお笑い」で形成されている「内輪」に対して、外からグチグチ文句垂れているだけのように見えます。自ら笑いを取れ、とは言いませんし、その「内輪」に入って来てみたら?とも言いません。自身が面白いと感じる「内輪」に安寧を得て、その「輪の径」を広げるよう努める、というのなら、受け入れられるのですが。
さて、こうした茂木さんの私見に対して、立川志らくさんは
のように、日本にも世界トップレベルのお笑い芸人はいる、と反論をされておられ、茂木さんは「ゆっくり考えさせていただきます」と仰ってましたが、その後のお考えはやはりお変わりないのでしょうね。
一介の脳科学者に「稚拙」と言われても、享受できる「お笑い」を享受し続けていく所存です。