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「裁判」の意義:「みんな幸せ」になれるのか?
裁判所の仕事は,個人間などの法律的な紛争を解決したり,犯罪を犯した疑いがある人が有罪か無罪かを判断したりすることにより,国民の権利を守り,国民生活の平穏と安全を保つことです。
あくまで「イメージ」です。ベタなイメージ。「勝訴!」とか「懲役3年」とかいう結論、つまりそれこそ「裁き」が下されるのが、「裁判」というイメージです。
ただ、上記の裁判所の公式サイトの記述によると、それより先に「個人間などの法律的な紛争を解決したり」とあるので、とにかく「争いの解決」がいの一番にあると。
争いが解決されて、国民生活の平穏が保たれれば、それに越したことはありません。当事者間で綺麗に解決したのなら、他人がそれに口を挟む余地はないのかな、とも思います。
しかし、世間の耳目を集めているような件については、解決されて他人が入らなくてもよい域にも、土足で上がり込んでしまいたくなる衝動がでてきます。「もっと説明が欲しい」とか。かといって、その説明のために、言葉を重ねれば重ねるほど、尾ひれがついてしまい、むしろ真相がねじ曲がって流布されることもあります。結局は「他人は黙っておけ」なのかもしれませんが、、
脳みそお花畑かも知れませんが、裁判沙汰になっても、みんなが幸せになれるような世界を望んでやみません。