嫌われる勇気の実践
今日、高校の時からの友達と遊んできました。
カフェで話していた時、アドラーが言う、対人関係に競争を持ち込まないことや課題の分離を意識していました。
すると、私は今まで人の意見に対してどれだけ評価をする発言をしていたのだろう!と愕然としました😂
特に自分の考えとは違う意見に対して無意識のうちに「でもこれ(自分の考え)も良いよね」とか評価することを言っていたのです!!😱相手の話を聞いているようで聞いてない。最後は自分の良いように解釈する。解釈は自分の中で留まらず相手にもそう言ったりする。きゃーーーー!!!!相手の話ちゃんと聞いてなかったやん!!!!めっちゃ遮ってただろうし、相手は本当に言いたかったことは言えないこともあっただろうし!!!!😱
自分が正しい、だから相手が違う。友達に対してもそんな意識があったのだ!!!友達だから険悪に否定する、とかではない。けれど自分の嗜好と違うものに対して無意識な否定をしていたのだ!!!!
それに気づきました。
だから今日は評価するような言葉を出さないようにしました。あとは褒めたりとかも。評価は例え良い評価であっても、評価するということは無意識に自分が上であると思っているということ。
そのかわり、相手の考えを深掘りする質問をしたり、自分が感じたことを言ったりしました。嬉しいとかありがとうとか。けど相手に押し付けるというのはしないように意識しました。そして、相手の話をそのまま最後まで聞くということも意識しました。話終わる前に質問したりしたので、最後まで聞くことをもう一回やりたいです。
課題の分離についても意識しました。上記のことと似ていますが、相手のことについて介入しない。けど、友達の恋バナ聞いてて「こうしたら?」と本人がまだ言ってないことに対して発言したので、少し介入してしまったのかもしれない。
評価や介入をしない。そして、アドラーがこうしたら良い、と言っていたかは定かではないが、相手の話を聞いてより細かく聞いていく、そして相手の今やりたいと思っていることを聞く(今ここを生きるに繋がるもの)を意識しました。