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パロディ映画の割に深い、『バッドマン 史上最低のスーパーヒーロー』
粗筋
38歳、役者未満。警察官の父親に認められようと四苦八苦するセドリックに、遂に転機が来た。ヒーロー映画の主役に抜擢されたのだ。
日々鍛錬を積み、遂にクランクイン。ところが自動車事故に遭い、記憶喪失に陥ってしまう。撮影用の車両に残された小道具を見た彼は、「俺はヒーローだったのか」と勘違いしてしまい…。
配給はアルバトロス!フランス発のおバカコメディー!
おっ新鮮なクソ映画か?、と期待値ゼロで観た本作。…なんと秀作でした。僕はアメコミに理解も愛着もない輩なんですが、それでもメチャクチャ楽しめた。
「バカ映画」の括りで済ませるには勿体ないので、長文評をしていきます。
パロディ映画
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宣伝のおフザケぶりで分かる通り、今作には多数のパロディネタがぶち込まれています。ヒーロー映画だけで言っても
・バッドマン、バットサイン、小道具:バットマンシリーズ
・アッセンブル:アベンジャーズ
・コミックがめくれるロゴ:マーベル社
・トレーラーのロゴ、ヘルメット内部の映像:アイアンマン
・車椅子のハゲ、顔面真っ青の女の子、ローガン:X-MEN
・逆さキス、眠った相手のマスクを剥ぐ:ライミ版スパイダーマン
・犬の名前がグルート:GOTG
などのネタは直ぐ分かるし、ジャンル外の映画でも
・記憶喪失の凄腕というプロット:『ボーン』シリーズ
(監督曰く、初稿では記憶喪失のスパイという筋立てだった)
・満月をバックにガキが飛ぶ:ET
・赤ジャケット×野球帽の仮装:バックトゥーザフューチャーⅡ
・洋館の2階から首つり:オーメン
・闇から顔だけ覗かせ、また消える:レオン
などのネタがある。これ以外にも下ネタ、ナンセンスギャグ、モノボケが大量投下されるため、引っ切り無しに笑わせられます。
複合パロディ:「それ、違うネタや!」
とはいえ、パロディ映画なんぞ星の数ほどあります。しかし本作にはフレッシュさもある。何故なら、複数のネタを複合させてギャグに仕上げているからです。
例えば、オープニングのモンタージュシーン。役作りのため筋トレに勤しむセドリックを彩るBGMは、”Come and get your love”…。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のOP曲なんですが、クリスプラットの踊りとは違い『ジョーカー』でホアキンが階段を下る画そのままになっている。
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或いは、劇中劇のアクション。バッドマンVSピエロのルックスはノーラン監督の『ダークナイト』なんですが、アクションはスローモーション×早回し…。ザックスナイダー監督(DCEU)の手法であって、別物なんですよ!
他にも、そっくりさんのスタンリー(マーベル社の神様)が「コウモリは食わん!」(バットマン=DC)と言ったり…。一番秀逸だったのは、セドリックがヒーローとして覚醒するシーンですね。
胸をはだけスーツが見える:クリストファーリーヴ版の『スーパーマン』
なのに、
スーツには黒い胸当て:『バットマン』
なのに、
かかるテーマ音楽は『アベンジャーズ』のパチモン
と、3重のネタになっているのです。…パロディ映画では、ちょっと観たことないギャグセンスですね。
ギャグ映画だからこそのユルさ
僕はリアリティのない映画は嫌いな性質なんですが、今作は許せます。だってギャグ映画だから。
例えば、劇中の小道具について。セドリックは小道具の数々を見て勘違いに至るワケなんですが…何故かヒーロー顔負けの超技術が施されているのです。
腕から立体ホログラムの投影(しかもフリック・再生選択も出来る)、アンカーフック射出、完全防弾、催眠ガス…。「何で本物仕込んでるの?」といった質問は野暮なもの。だってギャグだから。
そのくせ、終盤では逆の展開が来る。セドリックと父親が悪漢VS警察として対峙し、もみ合いの末ナイフが刺さってしまう。「あの前フリでこれは…!」と緊張が走るも、ナイフだけは都合よくマジックナイフ。だってギャグだから。
ギャグを逆手に取った大団円
本作の監督・主演はフィリップ・ラショー。実写版『シティハンター』の人だけあって、テンポの良いギャグや小学生のような下ネタは健在。と同時に、きっちりお話を畳む手腕もまた折り紙付きでした。
本作にはヒロインとして、女性ジャーナリストのローラが出ます。彼女がセドリックのドタバタ旅に同行するんですが…聖人過ぎるんですよ。どんな酷い目に遭っても、同行する。最後で「実は元カノだった(けど忘れていた)」と明かされるのですが
・お互いの破局話
・ヒッチハイクを通り過ぎてから急バック二度見
・初対面の割に親身に話す
・チンコを前に動じない
・ヒーロー映画定番の過去フラッシュバック
などしっかり前フリがある。
「ギャグ映画特有の過剰表現」に見えたディティールが、実は伏線という見事さ。リアリティレベルの上げ下げが前提ではありますが、それこそギャグ映画に許された特権です。
他にも、父親との確執/和解や「掃除機プロダクト・プレイスメント」など、展開されたシリアス要素は全部回収されて終わる。ニクいことに、何だかんだ収まりが良いんですよ!
ブラックジョークのエグみ
ヒーロー映画で、パロディが満載で、下ネタまみれ…。そう聞くと、『デッドプール』シリーズが思い出されます。
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『デッドプール』は残酷表現もあり、R-15指定の映画でした。しかし比較してみると、本作の方が大人向きであると思います。何故ならこちらは、「観る側のリテラシーを要求する」ギャグが多いからです。
暴力表現
『デッドプール』は過激なように見えて、真っ当なヒーロー映画。勿論良さではあるのですが、反面毒っけを薄めてしまいました。
それを端的に示すのが、暴力を受ける対象。悪の組織の戦闘員、邪悪な親玉…(Xファクターの出オチ以外は)悪人なんですね。死体弄り/死に様ギャグがどれだけ過激だろうと、道徳的な不快さはない。
それでは、『バッドマン』ではどうか。女子供が執拗に酷い目に遭うんすよ!
ローラが天丼ギャグで3回暴力を受ける、ガキが肉体的にも精神的にもハードな体験をする、野外劇が倒壊してガキ共が下敷きになる…。ポリコレ的に守られる「べき」者がこんな目に遭うギャグは、ハリウッド映画でとんと見なくなりました。
『最終絶叫計画』シリーズの時代には、こんなギャグもあったんですがね…。
差別的ジョーク
『デッドプール』の過激さは、罵り言葉/性的スラング/残酷表現/パロディネタといったもの。特定のグループをネタにした、差別と取られかねないギャグは実はない。
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対する今作は、ブラックさが一段と違う。映画会社の宣伝シーンには
「『最強のふたり2』。今度は歩きます!」
と障害者ネタをブッこむ。また、ラストのテレビ映像では
「鷲にさらわれた子供を救おうと、移民が英雄的行動に出ましたが失敗。死亡しました。なお、遺体は本国に強制送還されます」
と移民ネタを投げてくる。
ディズニー帝国とポリコレ
何故、そんな前時代的なジョークを持ち上げるのか。それは、今作がヒーロー映画のジャンルであり、ヒーロー映画≒マーベルを統括するのが、ディズニーだからです。
差別は駄目ですよ。当たり前だろそんなん。でも、現実世界には存在してんですよ。まだ過渡期なんです。それなのにディズニーが描くのは、平等が行き渡って多様性が完成された世界じゃないですか。それはまだ、虚構なんですよ。
現実には、差別が溢れている。『バズライトイヤー』の同性愛表現に、「馬鹿な」イスラム圏がブチ切れてるじゃないですか。でも、ホモフォビアを馬鹿な野蛮人と断じて「文明世界に居ないもの」とみて見ぬふりする限り、差別はなくなんないですよ。ディズニーは何時になったら、相容れない価値観の多様性を問えるんだ?
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ジョークは価値観を相対化させる。「正しくリベラルな」我々の外側の、「間違った人」が現実に居ることを知らせてくれる。そういうのを全部無視して、ディズニーは漂白された「マイノリティー・エクスプロイテーション映画」を作る。それは本当に、倫理的なんでしょうかね?
いかにもリベラルが喜びそうな『ブラックパンサー:ワカンダフォーエバー』の予告と、続く本作を見比べながら僕はそんなことを考えました。
所詮本作はギャグ映画ですし、ディズニーをポリコレで一括りするのも乱暴でしょう。でも、サシャ・バロン・コーエンの映画や『サウスパーク』のように、差別ジョークの連発から悟らせる手法の方が、本質的に見えるのだがね。