立命館大学の思い出その1
今日は大学時代の思い出について書かせていただきます。
プロフィ-ルにも書きましたが、私は京都の立命館に通っていました。
当時は京都の衣笠にキャンパスがあり、周りはとても閑静で勉強するにはもってこいの立地でした。
入学式当日はキャンパスの桜が満開で、とてもテンションが上がったことを覚えています。まるで桜も入学を祝ってくれているように感じたものです。
入学を喜んでいない学生たち
ところが入学してしばらくすると同級生の中には、立命館に入ったことを素直に喜んでいない人達がいることに気づきました。
彼らの共通した言い分としては、「自分は本来立命館より上の大学に通う実力がある。たまたま入試の時に失敗したので不本意ながら立命館に来ている。」というものでした。
私はこういうことを言う人が凄く嫌でしたし、同時に彼らに憐れみを感じました。
彼らの言ってることって結局勉強のできない子をもった親がよく言う
「うちの子はやれば出来るんです。」と同じ理屈なんですよね。
やればっていうのは、やらないからやればっていうことであってそういう子はいつまでもやらないです。
結局現実を認められないから、見果てぬ可能性を逃げ道にして自分をごまかしてるということですよね。
本当に自分には実力があるって思うんだったらさっさと立命館やめて来年別の大学受け直せばいいのにと思いましたね。
じゃないと立命館に来たくて来ている人や、立命館に来たくても来れなかった人達に失礼ですよね。
現実を受け入れる重要さ
あれから30年以上経ちますが、あの時そういうことを言ってた人々は今はどうしてるんでしょうか。
今でも色んな現実を受け入れられずに、「本当は・・・・」なんてことを今でも言ってるんでしょうか。
まず現実を受け入れる、それが大事なことと個人的には思います。
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