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あしたのジョーについてその3(ジョーを取り巻く女達、白木葉子前編)


あしたのジョーのヒロイン葉子

白木葉子は梶原一騎が当初から設定していた「あしたのジョー」の本来のヒロインです。
私が思うに「あしたのジョー」の中で、ジョーに対して深い思いを常に持っているという点では、白木葉子と丹下段平の二人が双璧です。
段平のそれが親が子を見守るような愛情なのに対し、白木葉子のそれは恋愛感情が含まれています。
葉子自身が、そのことに気づくのは、かなり後のことです。

反発するジョーと葉子

白木葉子は、林紀子と違い最初からジョーのことが好きだったわけではありません。最初はジョーとお互いに反発しあっていました。
幼い頃からずっと施設で暮らしていたジョーに対して、白木財閥のお嬢様として何不自由なく暮らしてきた葉子。あまりにも対称的な二人。理解しあえないのは当然です。

特にジョーは、葉子のお金持ち特有の偽善的な部分をその嗅覚で感知し、嫌悪感を持ちます。
それが、如実に現れたのが少年院での演劇ボランティアでの出来事です。
「ノートルダムの鐘」の演劇を葉子達のボランティアが演じる訳ですが、その劇中でせむし男の役を段平が演じます。その段平を劇に迫力を出すために、本当にムチで打たせるのです。これにジョーが怒ります。ボクサーあがりの段平だから痛みに強いだろうと安易に考え、劇に迫力を出す演出だからいいだろうと考えるおごり。
それがジョーには、許せなかったのでしょう。
葉子の本質的な他人に対するおごりを感知した、ジョーは葉子を罵倒します。
葉子は、この劇中で、ヒロインのエスメラルダを演じていますが、ジョーは「ミスキャストだ」と断じます。
以前ジョーが起こした詐欺事件の裁判の傍聴に葉子が、来たのをジョーは、おぼえています。
その時の葉子のジョーを見る目が、蔑みに満ちた冷たい視線だったことも。

その時から、ジョーは葉子の本質にある弱者を見下す部分に気づいていたのでしょう。
そんな葉子が、愛に満ちた娘エスメラルダを演じるのは、ミスキャストもいいところだと指摘した訳です。

ジョーに指摘された葉子の本質

さらに葉子に対しジョーは、葉子の本質的部分をより深く指摘します。葉子のやっていることは、「見せかけの親切」「うわべだけの思いやり」つまりすべてが押し付けがましいと葉子自身気づいていない部分をズバズバ言い当てます。
最終的にジョーは、「お嬢さんよ。あんたは俺やここにいる憐れな連中のためじゃなく、自分のためにこんな慈善事業をやる必要があるんじゃねえのか。
えっ、自分のためによ。」と葉子を追い詰めます。
これに葉子は、言葉を失い全く反論も出来ません。

葉子自身は、お嬢さん育ちのため純粋にボランティアをやっているつもりです。そのため自分自身でも上から目線の思いやりになっていることに気づいていません。常に感謝という見返りを無意識に求めていることも。
そこをジョーにズバリ指摘されたので、狼狽したのだと思いま

ジョーを意識する葉子

白木葉子は、聡明な頭脳を持っています。自分でも気づいていない自分の本質的な部分をジョーに指摘され反発しながらも反省もしたかと思います。
この少年院での出会いの出来事から葉子にとってジョーは、常に気になる存在になったと思います。

二人の関係も力石の死後大きく変わってきます。
それは、次回以降書かせていただきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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