いい子になる方法
落ち込んでいた夜
一人で寝るのが寂しいなぁ、と思っていたら、僕の部屋のドアを開けて、枕を抱えた息子が入ってきた。
優しい子だから、僕の気持ちを察して来てくれたのかなと思ったら、なんてことはない。
彼も僕と同じかそれ以上に落ち込んでいたのだった。
暗闇の中、その落ち込みの理由について、いつもの調子とは違う頼りないボソボソとした声で息子は語り始めた。
「最近、お母さんがイライラしたり、すぐ怒ったりして怖いんだ・・」
僕が帰宅したときに、何度か喧嘩してたんだ、という話は聞いていたけど、僕の目の前の二人はいつも無邪気に仲良くたわむれる子犬みたいな感じだったから、この告白は正直、意外だった。
そして、彼は、この数日、お母さんとの間で起きた出来事についていろいろと教えてくれた。その後、あらかた話し終えて安心したのか、目をこすりながら彼は自分の寝床に戻っていた。
彼が寝静まってから、僕は妻を呼んでリビングで少し話し合った。
彼女の不安な気持ちは痛いほど分かっていたつもりだったし、毎日仕事をしている僕と違って、いつも家でひとりきり息子を見守り続けるストレスもきっと僕の想像を絶するものだろう。
今回、そんな妻の気持ちを改めて聞いてみたところ、去年の4月から不登校になっている息子が「普通の小学生」としての日常生活を送れていない事実に対して、僕が想像していた以上に、親としてとても不安と焦りを覚えていることが分かった。
「勉強のことは正直、利発な子だからあまり心配はしていない。けど、ずっと家にいて過ごすのは(社会性とかいろいろ身に着けたりするという意味で)やっぱりダメなんじゃないかという思いが強くて、だから、いろんな体験をさせたいって思って、いろいろな課外イベントを体験させようとしているの」
「なのに、そんなこっちの気持ちも知らずに、行くって本人が言ったにもかかわらず、当日、行かないって言われることが多くて、それにどうしてもイライラしちゃうんだよね」
妻は正直に自分の気持ちを教えてくれた。うん、その気持ちはよく分かるよ。
「でも、そのイライラを息子にぶつけて、彼を悲しい気持ちにさせるのは、本末転倒じゃない?」
そう僕が答えると、妻は少し我に返ったように見えた。
そして、彼女は、昨日あった息子とのあるエピソードを僕に話してくれた(彼には「お父さんには言わないで」と口止めされていたみたいだけど)。
それは、息子が使った後に彼女がノートパソコンの検索履歴を何気に見ていたら、そこに
「いい子になるほうほう」
と書かれていたという話だった。
恥ずかしながら、それを聞いた瞬間、僕の両目からブワッと塩辛い水があふれ出した。
君はいいこにもふつうのこにもならなくていいんだよ。
その僕のみっともない姿を見て妻は明らかに呆れていたけれど(苦笑)、彼女自身もその検索ワードを見て、とても反省して、息子にもちゃんと謝ったそうだ。
でも、確かに、妻が感じているように、僕ら家族は世間一般の人達から見たら、普通じゃないのかもしれない。中には社会の落ちこぼれだって、口では言わないけど、思っている人もいっぱいいるだろう。
でも、そんな風に時折、僕らを脅かし、不安に陥れる「普通」とか「常識」っていったい何なんだろう。
それって、もしかしたら実態の伴わない幻みたいなものなんじゃないだろうか。
そんな霞を食ったようなものに振り回されて、世界中で一番愛しているはずの彼のことを傷つけて悲しませるなんて、これほど悔しいことはないじゃないか。
というようなことを妻に言ったわけではなくて、実際はなるべく彼女がイライラしないような具体的な方法論について話し合って、その日の緊急家族会議は終了した。
最後に妻が少し不服そうな顔をしながらぼそりとつぶやく。
「あなた、彼に甘過ぎるわよ」
僕は思わず苦笑いを浮かべながら、「だって仕方がない。自分でもなぜなのかは分からないけど、僕は彼のことが好きで好きで仕方ないんだから」と思っていた。
そんなお父さんは、いつだって君は大丈夫だって信じている。
でも、それは、
大丈夫じゃない(ときもある)大丈夫
だってこともよく分かっているから、大丈夫じゃないときに君がひとりでも踏ん張れるように出来る限り自分のこの愛情を君に注ぎ続けることが自分の役割だってどっかで思ってもいる。
そりゃあ、大甘にもなるわな(笑)
そんなことを考えていたら、不思議なことに、さっきまで僕をひどく落ち込ませていた憂鬱の種も、風に吹かれてどっかに飛んで行ってしまったようだった。