#17. 生き別れ。
12/23.
とうとう息子と決別する日が来た。
離婚したときから、いずれ来るかもしれないという予感はあった。
5〜6年もの間、毎月(コロナ等で会えない月もあったが)親子交流を続けてきて、MT(元妻)の様子からも再婚は今のところ無さそうだという甘い幻想を抱き、このまま順調に小学校・中学校と息子の成長に寄り添えるだろうと思っていた。それなりに楽しい日常で予感は薄れていっていた。
だけど時代も季節も人の心も淀みなく動いていた。
先日「再婚し、新しい生活が始まりました。〇〇(息子の名)に関わることなので、連絡しときます。」とメールがあった。
忘れた頃にやって来るとはこのことだと思った。不意に躰中を寒風が吹き抜けていく様な感覚で、でも息子との今後をはっきり伝えねばならないと覚悟もした。
MTがもし再婚したらその時は息子との交流を一切止め、息子が新しい父親と自然な親子関係を築いていけるように、息子の人生の幸せを一番とし最後くらい父親らしい行いができるように、静かに身を引くことが息子を想うということ(正しいか分からない)だという、胸に抱いていた考えを文章にして数日後にMTに伝えた。(養育費に関してはこれまで通り継続し、もし私も再婚し子どもが生まれた折には免除してほしいと伝える)
「私もそれが〇〇にとっても、貴方にとってもベストだと思います。」と返信があり、交流・養育費ともに合意に至った。
息子とは生後半年ほどで別居し、それから調停を4ヶ月ほど経て離婚となり離婚後にようやく会えるようになって久しぶりに見た息子はヨタヨタと歩ける様になっていたのに安心し嬉しかったのを覚えている。別居にいたる口論をMTとした時、MTの腕に抱かれたまだ幼い息子が怖がって大泣きしていたのを覚えている。その時のMTに対する怒りと息子に対する申し訳無さと自分への虚しさを覚えている。
息子には父親としてのつとめをたった半年しか、してやれなかった。たった半年しか、やっていない。それで毎月2回2時間程度の交流で、父親面して息子に会うことに負い目を感じ、とても私の口から「俺がお父さんだよ。」とは言えなかった。結局、息子には「お客さん」という呼ばれ方を通させて、一度も「お父さん」とは呼ばれなかった。でも、これから新しく人生を共に歩んでいくであろう父親を心の底から自然に「お父さん」と呼べるということは息子にとって良いことだと思う。
息子に渡すつもりだったオモチャ(ポケモンの簡単なプラモデル)があったので、それを渡して最後にしたいという意見も容れられる。ショッピングモール内にて偶然出会わせたかの様にしてMTに連れられた息子に「こんにちは」と挨拶する。息子は寝ぼけ眼で寝起きの様子。私を認めると「この前、〜(何かのキャラ)作ったよ。リザードンとカイリューも作ったよ。(この間の交流で渡してた)」とか少しまどろんだ様子で話してくれた。オモチャ渡して頭を少し撫でて、MTから「もらったら、なんて言うの?」って促されて「ありがとう。」っていつもの調子で言ってて…
本当は最後だから息子に「元気でね。」とか「楽しくね。」とか言いたかったけど、とても耐えきれないと思って「じゃあね、ばいばい。」って手を振って私から息子のところを去って行って…
いつかもし大きくなった息子が、血縁上の父である私を見てみたいと思うかもしれない。母を苦しめた私を殴りたいと思うかもしれない。私と酒でも飲みたいと思うかもしれない。どうなるかは分からないけど、息子への責任としてまだまだ弱音を吐かず歩いていかなければならない。私以上に過酷な状況の人はごまんといるし、ここで勝手にへこたれ踞れば息子を放棄したことになる。
師走の寒さが身に沁みる今日このごろ。
(いつか息子と再開できた時は、追記をしようと思います。また、そうなって欲しいと願っています。)
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