能登半島地震
【能登半島地震】
2024年1月1日、震度7の大きな地震が石川県能登を襲いました。
私の住んでいる所でも震度5強の地震があり、すぐに大津波警報が鳴りました。
家族全員ですぐに避難したものの、私の住んでいる所は津波の被害はありませんでした。
しかし、翌日家を見てみると、壁に無数のひびが入っていました。
今も震度1~3の余震があり、一度大きな地震を経験すると、たとえ震度3であっても、すぐに身体が反応します。
災害の少ない事が石川県の自慢でもあったのですが、いま、能登は壊滅的な状態です。
能登の手前にある内灘という場所は、埋め立てした地域という事もあり、液状化現象によって道路も家もひっくり返ったようになっています。
地面は陥没し、隆起し、波打っており、家は倒壊したり、斜めになっています。
もちろん、これまで見た事もない光景ですし、自分の人生でこのような光景を目にするとは思ってもみませんでした。
そんな光景を見ると、言葉が出なくなるのですね。
色んな言葉が頭の中で反芻され、それがエンドレスに続き、無言にならざるを得ないのです。
私の親戚も今、避難所生活を送っています。
最初は連絡が取れず心配でしたが、無事を確認しました。
ですが、手伝いに行きたくても、今も現場には入れません。
これまでも、能登では小さな地震が年間で100回以上もあり、能登でエギングを楽しむ私も気をつけていました。
ですが、今回の地震はあまりにも大きかった。
そして、地震のわずか1分後には津波が襲いました。
海底が4mも隆起し、今まで海だった場所に、今は水がありません。
防波堤の周辺も海底が隆起し、水がまったくないのです。
本当に異様な光景です。
慣れ親しんだ海の光景がそこには微塵もありません。
同じ防波堤なのに、同じ光景がそこにはないのです。
その異常さに、今はただ茫然とするばかりです。
【数日後には釣りに行く予定だった】
地震のあった日の数日後には、私も能登へ釣りに行く予定でした。
ヤリイカとアジを釣りに行く予定だったのです。
船で一文字へ渡り、そこで釣りをする予定だったのですが、もし、その日に地震があったと考えると、心底恐ろしくなります。
大きな揺れと、1分後の津波。
きっと船は迎えに来ないでしょう。
だったら、どこに隠れるか?
どうやって5mの津波に抵抗するか?
スマホから響く通知音を聞きながら、どこまで冷静でいられたかも分かりません。
自然とはそういう怖い一面もあると分かっているつもりですが、それでも、私たちの想像をはるかに超える地震でした。
【復興】
正直、今はまだ復興の事など考えられません。
現状を受け入れる事さえ出来ないのに、未来の事など考えられないからです。
そこにとどまり、もういいやと諦めたくなっている人も大勢います。
気力がない、自分を振るい立たせる事が出来ない、そう言っている人も大勢います。
未来を考えれば考えるほど、涙が溢れて止まらないという人も。
でも、前に進まなければならない。
それがどんなに辛い事か。
以前の風景をすべて失った現状を見つめながら、これから訪れる果てしない我慢と努力の日々を頭に描くと、自然と涙が出てくるのです。
私の親戚を含め、多くの被災者は自分の事で精一杯です。
ですが、町、県、国のリーダーには、何としても、新しい能登を再建して欲しいと願います。
もうこの町は元には戻りません。
それだけ壊滅的です。
でも、だからこそ、新しい魅力ある能登を再建して欲しいのです。
このまま忘れ去られて行くのではなく、また沢山の人が訪れてくれる町にして欲しい。
それが願いです。
でも、現実的にはなかなか難しいのでしょうね。
ただでさえ少子高齢化により過疎化していた能登を、素晴らしい町へ復興させるなんて。
もしかすると、能登を後にした子供たちのお世話になるのが現実的なのかもしれません。
新たな場所へ移り住んだ方がいいのかもしれません。
でも、あの素晴らしい能登をそのままにするのはあまりにも惜しい。
私は能登の住民ではありませんが、そう思います。
【いつかまたアオリイカを】
能登を再建するには途方もない時間がかかるでしょう。
多くある漁港で漁にすら出られず、能登の漁業はもうおしまいだと言う人もいます。
そんな現状を考えれば、エギングなんて、アオリイカなんて戯言だと言うかもしれませんね。
でも、またいつか、みんなでエギングを楽しめる場所にして欲しい。
能登はイカの町。
能登小木町の入口にはそういう看板が掲げられています。
それを取り戻せるように、私もずっと頑張って行きたいと思っています。
そしていつか、また能登の町で、1杯のアオリイカを釣りたいと願っています。