ベートーヴェン欄外研究P-4 ベートーヴェンの肖像画について
まだ写真技術の無かった時代、時の大スター 偉人の本当の素顔を知るにはどうしても「第三者が描いた絵 肖像画」しか頼れるものは無かった。しかし
殊更「ベートーヴェンの肖像画と言われる作品は多々あれども、これ程皆全然違う」と言うのも珍しい。今回はその解る限りの肖像画を文字で伝え現し
その作者の苦悩を偲びたい。
(1)16歳の少年ベート―ヴェンを描いた影絵
当時16歳、G-ネーフェの弟子となりその後「ボンで宮廷オルガニストに就任した少年ベートーヴェンを描いた影絵こそ、最古の作品と言える。
(2)象牙板上に描いたペンダント
現存するもっとも最古の絵と言われ「画家ホルネマン」が1804年に「S-F
ブローイング(ベートーヴェンの生涯の友人)の依頼で作ったペンダントに描かれていた絵で現存している。
(3)ベートーヴェン唯一「life-mask=顔形 取」に成功
1812年、様々な困難と失敗の末にようやく「生きているベートーヴェン本人の顔をそのまま型で写し取る」と言う作業が成功した。これを基に様々な作品が創られる事となった。これは「幼い頃患った天然痘の痘痕」まではっきりと記録され、大作曲家唯一の生前の顔形を知る手掛かりとなる資料。
このlife-maskをbasicとして様々な肖像画や作品が創られ「ツーム ブッシュ
クノル マックスクリンガー スツックダーケ ミハエレックフローフマン
フィツクスマッソー」等のドイツ内外の画家や彫刻家、胸像師等の手により多数のベートーヴェン関連の作品がつくられている。
(4)ベートーヴェン唯一の胸像
上記の「life-mask」から起こされた唯一の胸像で、この胸像をBaseに多数の画家たちがベートーヴェンの肖像画を発表する場を提供した。
(5)ブラジウス ヘーフェルによる肖像画
当時22歳だったヘーフェルは直接ベートーヴェンを訪問し何とか肖像画を描かせて欲しいと嘆願し、運よくOKを出してもらえたは良いが、ベートーヴェンは5分と同じポーズを取らず動き回り、しまいにはpianoの前に座り仕事を始めてしまう。これに当惑したヘーフェルだが、、、考えてみれば「pianoに向かい仕事に没頭するベートーヴェンこそ決して微動だにしないポーズ」と視たヘーフェルは長時間かけて肖像画を完成し、お礼の挨拶をするもベートーヴェンはそれさえ気づかずに仕事に没頭していたと言う。
この「ヘーフェルの肖像画」は最も正統的作品とされ「色が黒い処」等は本当だと証言されている。「黒いスペイン人」とのあだ名があった。
(6)A-Fクレーバーによる肖像画
1818年 アウグスト フォン クレーバーによって描かれた肖像画は当時全ヨーロッパに影響を与え、あちこちの宮廷やmuseumに飾られたと言われる。
この肖像画の出来栄えにはベートーヴェン自身も非常に満足で、特に「hairstyle」が気に入り、その瞳は夢見る様だったと言われる。現存
(7)F-シモンによる油絵
1819年 画家のフェルディナント シモンにより描かれた油絵も、またベートーヴェンの肖像画としては成功を収めた作品だった。
やはり「絵のモデルとしては全く適当では無いベートーヴェン」だったが、、、、この弱点は何と「ベートーヴェン自身の歩み寄りで解決した」のだ。それはこのシモンは、必ず「一杯60粒入りのcoffee-time」を求められつどお付き合いしたその時、「coffeeを飲むベートーヴェンの一番リラックスした姿 特に目の表情を描き斬る事に成功」した得難い例だった。
(8)歴史的傑作 スティーラーの肖像画
今日誰しも必ず観たことの在るこの肖像画 1820年画家ヨーゼフ スティーラーにより完成されたこの肖像画こそ、その後100年後には「日本の学校の音楽室にまで飾られる事となる」あの有名な肖像画が描かれた。
おそらく「一般人の追い求める大天才ベートーヴェンのイメージ」をこれ程強く豪華に美しく描いた肖像画は他には無いとされ、「スティーラーはこの絵一枚でひと財産築くだろう」と言われた程の出来。このスティーラーはその後「ゲーテの肖像画」も描いている。
(9)ワルドミュラーの肖像画
1823年、弟子シンドラーのinterface(仲介)によりワルドミュラーがベートーヴェンの肖像画を描くのだが、このワルドミュラーは当時ウィーンでもトップクラスの画家として定評が在ったが、大変残念ながら初めの第一歩から「ベートーヴェンとの間に深い溝」が出来てしまっていた。
この当時ベートーヴェンの頭の中には「第九交響曲/ミサソレムニス」の孰れかが鳴り響いていた大切な時期の上、このワルドミュラーの「必要以上に遜った オドオドした態度がベートーヴェンの気に障った」らしく非情な険悪の中完成されたワルドミュラーの肖像画は当時「ベートーヴェンの大好物のmacaroni入りcheese料理を黒焦げにした怒りの表情」と揶揄された肖像画だが、やはり画家の眼から見た姿のベートーヴェンが描かれていた。
なおこれ以降、ベートーヴェンの肖像画が描かれる事は無く、最後には
(107)死の床に臥すベートーヴェンsketch
1827年 いよいよ病状が悪化しまさに死の床に臥すベートーヴェンの姿を
大批判浴びながらもsketchした「画家ヨゼフ テルチャ―の絵」が生前最後の絵となった。
☆何故? 上記全て此処まで顔つきが 大幅にと違うのか?
最も古い現存する「ペンダントに刻まれた絵」は10代の頃なので、まだ幼さが残る少年ベートーヴェンの顔立ちだが、それ以降壮年期から更年期にかけてのベートーヴェンの顔立ちは、全くと言って良い程異なっている。
当然ながら「現在知られている画家たちの描いた肖像画」の他にも、無名や3流の者達が描いたであろう肖像画は在る様だが、実はベートーヴェン自身の言葉から「自分は肖像画で描かれている程の良い顔立ちの男では無い。
多くの画家共は自分を美化して描きすぎている」とも語っている事実が在る。つまり此処から解る事は「どの肖像画も全く違う顔立ちながらも、実はその時その一瞬でのベートーヴェンの顔立ち=stop-motionの切取りsamplingである事は明白な様だ。
☆画家たちとの対応や確執
*成功した画家達は「運を味方に付けていた」
上記の(6)の作者「クレバー」は最も運の良い画家と言えた。まずこの当時ベートーヴェンが居住していた「メードリンク」はベートーヴェンお気に入りの避暑地で在り、引っ越し魔として知られるベートーヴェンが気に入っていた場所=此処に画家クレバーが紹介されて描きに来ていた事。
更に「画家クレバー」はベートーヴェンの「モデルとしてのクセ」を直ぐに見抜き「ベートーヴェンの心理状態を細かく観察しながらせいぜい最高40分程度をリミットとし、ベートーヴェンの機嫌を損ねる前に退散して後日に回す」と言う巧みな作戦が、肖像画の成功を収めた。
*上記(7)の「画家シモン」もまさに運を天から授かり、更にベートーヴェン自身の歩み寄りにより「肖像画の成功を収めた果報者の画家」だが、実はもうひとつ、、、若きシモンの極めて「遠慮の無い屈託の無い性格=つまり、
おはようも、さようならも言わずに飼い猫の様に家を出入れするシモンの性格と「ベートーヴェンの性格とが奇妙にmatching? 近親感が生まれた?」とも言え、こうした事の積み重ねが「1杯60粒入りcoffeeに何時も誘われ、誰も描けなかったベートーヴェンの眼の自然なstop-motionを描けた」と言える。
*(8) 最高の傑作と言われる肖像画作者の「スティーラー」も物凄く運の強い画家だった。まず紹介者がベートーヴェン後援者のパトロンで在り、突然アトリエを訪問したへーと―ヴェンに対して「きちんと事前準備がしてあった」事、更には必要以上に遜る事無く、きちんと時間を測り「疲れて来たベートーヴェンに対し気持ちを逸らせる様な行動を取ったり、後15分程の御猶予を、、とか、大切な部分は終わりました」等の各工程での細かい報告をきちんと行い、ベートーヴェンに対して礼を尽くした態度がこの「史上最高の評価を得たベートーヴェンの肖像画」を完成させ、これが後に「大詩人ゲーテの肖像画」にも繋がるので在る。(なおこの肖像画の両手の部分は、後に記憶によって描かれたとスティーラー自身が述べている)
*(9)の画家「ワルドミュラーは何故大失敗したのか?」=これは、実は今日の「営業訪問 sales-promotion-actionなどにも十二分に通用する」事なので、ぜひ「耳の穴をかっぽじいて、目薬さして視て」欲しい。
まず「ワルドミュラーは教授と言う立場を活かせず、必要以上におどおどし遜りすぎ、返ってベートーヴェンの機嫌を損ねてしまった事」が最も大きな敗因だった。つまり「ベートーヴェンと言う方の事前のresearchが全く欠如していた事」により、こうした態度が最もベートーヴェンには気に入らなかったのを知らなんだ。何せベートーヴェンは「大詩人ゲーテとの面会においても少しも遠慮する事無く、全く同等の立場で渡り合い、紳士たちの前で背広を脱ぐ」事までやらかした。こういう、まぁ「自然の中の野生児の様なベートーヴェンに対峙する事は一見難しそうだが、、、、上記のシモンの例」にも在る様に、ごく自然に「無礼過ぎぬ事を前提に振舞う事が出来た」なら、ワルドミュラー教授画家も、もっとベートーヴェン自身の協力も得られ後世の肖像画としての価値も評価も高まったと思われてならない。
この後ベートーヴェンは、遂に死すまで「画家のmodelになる事は無かった」のである。
この「ワルドミュラーの失敗」こそ、我々現代人でも全てにあてはまり、実はこの自分大石も大いに勉強させて頂いた。どんな時でもどんな場合でも
決して顧客 clientに失礼を言ったり失望させてはならないのだと。