ベートーヴェン欄外研究P-1 ベートーヴェンの食生活について
☆ベートーヴェンと言う方は 「意外とgourmet」だった?
*ベートーヴェンは大のコーヒー好きだった。
ベートーヴェンは「自慢の秘蔵ガラス製Turkey式coffee-makerを所持しており、親しい友人知人の来訪時には、必ず彼自身が数えた「coffee豆60粒入りのcoffee」を馳走したと言われる。ベートーヴェンは物に対して無頓着であり乱暴で何でも壊してしまうのだが、このTurkey式coffee-makerだけは随分と大切にしていた様である。当時のウィーンは「cafe」と呼ばれる店が流行り始め、何時の間にか「cafe」には芸術家やその卵が入り浸り、芸術論議や様々な発表や鑑賞が行われ、何時の間にか「cafe」とは? 芸術家や庶民たちの「辛さを忘れ憂さを晴らす場所」として更に「恋を知り 恋を語る場所」としても重宝され、ウィーンには無くてはならぬ場所となって行くのである。
此処に登場したのが「シューベルト」だった。シューベルトとcafeとは切っても切れぬ関係で在ったがしかし「シューベルトは外に出て友人知人とcafeでワイワイ騒ぐ」のに対してベートーヴェンは?「自宅自室で一人coffeeを味わうか? ごく親しい友人知人とcoffeeを味わうか?」の相違だったと言える。
*ベートヴェンは野獣の肉類が健康の為にも良 いと大好物だった!!
ある日の献立を見ると「豚の血を固めたHungary風のsausage Parmesan-cheeseをかけたmacaroni 骨を煮詰めたsoupに固いパンを煮込んだsoup
魚料理 coffee」となかなかどうしてかなりのgourmetだった様子だ。
またとある日の来訪者の献立は「肉のstewの中にパンを煮込んだsoupは彼の好物で、毎週木曜日に家政婦がこれを作るのを大変楽しみにしていた」と言われる。更に「新鮮な卵10ケで作る大きなomeletも好物」だが、その卵は事前にベートーヴェンの厳しいチェックが入り、ほんの少しでも異様な匂いなどがした場合、直ちに家政婦は怒鳴りまくられ、万一逃げ出したりした場合はその腐った卵が容赦なく家政婦の背中に投げつけられたとも言われる。
*一番好んだ食物は「魚料理」だった。
これは確かだった様で、ベートーヴェンが客や知人友人を自宅に招くのは、大抵「魚市の立つ金曜日」が多かった様で、此処には例の「ドナウ川から獲れた魚類=大きな鱸 川魚 鱈等にバターやソースがくわえられ、ジャガイモが添えられたと言う。またベートーヴェンは「友人知人からの食事の正体を断った事が無く、その時は必ず事前に大きな「魚まるまる一匹」を友人宅に届けさせ、皆で魚を分け合って食するのを楽しみにしていた様だ。更に牡蠣等もベートーヴェンの好物だったと言われている。
一例として「ロンドンからはるばるやって来た出版社の者に、ベートーヴェンは精一杯の魚料理で持て成そうとしたが本人が「川魚は食べた事が無いので」と全然ナイフォークを着けずベートーヴェンをいたく失望させた」と言われる。
*有名な会話帳の中の「魚についての記述」
聴力悪化に伴いベートーヴェンの会話帳には実に様々な案件が書き込まれていたが、やはり「食事の記述は多く、魚について書かれていた事が多い」この中には「家政婦に対する不満や、何時何処でどんな魚が獲れて買えるか?等の細かい記述と会話」が書かれている。
*驚き!! ベートーヴェンは料理が趣味? 自ら料理をしていた!!
これは事実であった。何故ならベートーヴェンは「面倒を見てくれる家政婦と上手くいかない事が多く、雇っても直ぐに辞められたり、わざと手抜きや嫌がらせを受けた事」も多かったらしく、どうしても家政婦がいない時は「自分自ら料理をこしらえる事」も多かった。しかし、、、、
*ベートーヴェンに御馳走になった人達の話
ベートーヴェンから「食事の招待を友人知人達は、一向に出てこない食事に痺れをきらしたあげくにようやく出て来た食事」について、友人のある一人はこう記述している。
「スープは既に冷めておりウィーンの何処の乞食restaurantよりもお粗末で、色の付いた水に生の野菜が浮いている、、、肉は生焼の靴底の様で、油物は悪臭を放った」と。しかも、、、調理場で調理しているこの家の主=ベートーヴェンは、ジョークを飛ばしながら次々と料理?を出すものだから、来客たちはそれこそ息の詰まる思いでベートーヴェン宅を退去した」事だろうと。更にベートーヴェンからご馳走になった別の知人の話だと、、、
「彼の家のテーブルには卵が10ケ並んでいたが、その一つから耐えがたい異臭が放っていた。私はその卵をベートーヴェンから極力離していたが、、、たまたま料理をしようとベートーヴェンが手に取ったその異臭を放つ卵、、、すると彼はまっすぐに窓に向かい3階建てのまどからその卵を一気に下に投げ捨てた。私は誰から当たらねば良いと念じたが、不幸な事に下では大騒動が起こり、ホルンを吹き鳴らしながら警官が到着したらしい」と。
その後ベートーヴェンは何事も無かったかの様にpianoに向かい作曲を始めたと言う。
ベートーヴェンと言う人は「例え初対面でも相手が気に入れば、食事に誘う」事も多かったが、中にはその招待を一度も受けなかった者もいたらしい。その夫人はあえて「ベートーヴェンの天才は認めるが、あの不潔な部屋と怪しい食事は到底耐えられない」と。なんとなく解る様だが、、、、
*ベートーヴェンと酒
一説によると「ベートーヴェンは酒のみだった」と言う説と「断じてそうでは無かった」と言う両極端な説が在る。これは最晩年、ベートーヴェンの主治医だった者から「彼は断じて酒飲みでは無かった」と言われていた。
しかし一説や見た者の話だと「ベートーヴェンの酒に対する興味や思考は残念ながら大したものでは無く、安い適当な怪しい酒を好んでいた?」と言う話も在り、決して酒に対する強い興味関心は無かったと思われる。
なお「ベート―ヴェンが最も好んだ飲み物は=冷たい泉の水」で、夏などは遠慮なくがぶ飲みしたと言われる。またベートーヴェンの酒のエピソードとしては「葡萄酒/ワインの話」が非常に多く残されていて、実はベートーヴェンはかなりのワイン好きとみて良い。但しどの程度の蘊蓄を持っていたか? 強い拘りが在ったのか? についての記録は無く、呑めれば良い程度だったのかもしれない。
*ほら吹きベートーヴェン? 作り話の数々
ベートーヴェンは「訪ねてくる来訪者達の選別を行っていた?」らしく、用も無いのに押しかけて来たり、物見遊山で來る様な無礼な連中達には「どうも適当なホラ話を吹いて追い返してしまう」事も多々在ったらしく、その「ホラ話のおそらく基礎素材となった事象」がおそらく次の話と思われる。
*「食のエピソード」
ベルリンの音楽出版社シュレジンガ―の息子モーリッツは、ベートーヴェンと懇意となってから彼の自宅を訪ねる様に誘われた。この際家政婦から「先生との面会は非常に難しい 今日は特に御機嫌が悪い」と。仕方なくモーリッツは会話帳に「尊敬する先生とのご対面を心より期待しておりました」と書くと、これがベートーヴェンの機嫌を良くしたらしく面会が叶った。
この時ベートーヴェンから会話帳に「私は今日、温かい子牛の肉料理が欲しくてたまらなかったのに料理屋はそれを断った」と。
そんな事で?と驚いたモーリッツは引き止めるベートーヴェンを押し切って帰宅。近くの料理屋の親父に「今すぐ子牛の料理一人前と最上のワイン/葡萄酒を付けて、もちろん自分の名刺を付けて直ぐにベートーヴェン宅に、何と馬車で運ばせた」と言うのだ。
この翌日、モーリッツの宿泊している宿屋に早朝から突然ベートーヴェンが訪問し固く握手し「君の様な素晴らしい友人を持てて光栄だ」といたく感謝されたと言う。この後「この感動実話」を基にしたベートーヴェンのホラ話は幾つも在り、上記の話を大幅に膨らませ拡大した話等が流布される。
例えば?「ベートーヴェンの邸宅では大きな猫を飼っていた」とか?「ベートーヴェンを訪問したら、薔薇の手入れをしていた」とかの話は全て「ホラ話」とみて良いだろう。
*ベートーヴェンのタバコ
シューベルトのタバコ好きは有名で、体中からヤニ臭いにおいが漂っていた?と言われる程だったらしいが、ベートーヴェンはこの点「料理屋などで食事をする際、事前にはよくパイプをゆったりと「燻らして」いたと目撃談があり、更に晩年はパイプよりもcigarを好んで吸っていたと情報も多い。
何より「会話帳には晩年、タバコに関しての会話が多く残されていた事でも証明されている。
*ドナウの川魚は安全だったのか?
この点についての研究はこの後継続される予定?の「ベートーヴェン欄外研究のP-2以降」で書かせて頂く予定で在るが、もしも現在解明されている
「ドナウ川に大量に蓄積されている鉛」が、ベートーヴェンの身体=特に聴覚に影響を与えていたとしたら、魚好きのベートーヴェンには非常に残酷な事だったと言える。しかし、、、ドナウの川魚を食したのはウィーン市民も皆同じとしたら、、、、、解明が待たれる。