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最後の贈り物


こんにちは あぐりと申します。

今回の記事は

人は感情を揺さぶられたとき行動に出る

とはまさにこのこと・・・・


この話、私が用意していた投稿記事を差し置いて、『今すぐ出したい!!』そういう思いで気に書き上げてしまったものです。


読んで共感いただけたら嬉しいです✨





母と私の微妙な関係



4年前母を亡くしました。

母と私との関係について…今まで何かスッキリしていなかったんです。

私と母は仲が良いわけでもなく悪いわけでもない。

お互い協力はするけど交わらない。


しいて言えばここだけは甘えたけど…父を怒らせると厄介な空気になるので、反抗期の頃は主に母に八つ当たりをしたように思います。


私と母って正直どうだった?

そういう疑問がずっと残ってた。

お互いが確信に触れず、言いたい言葉も出てこない…不思議なんですね。

私の母の印象はこんな感じ…


私がもの心ついた時、母の印象は机に向かってものを書く人でした。

母は学生時代英語を専門に学んでいたようなので、家で受験生に英語を教えたり速記を勉強したり、文通をしたりとー 語学や書くことに楽しみを持つような人でした。


一日のサイクルを好きなことを中心に動いている母は、私が学校から帰る時間はいつも何かを書いてます。


今のようにLINEやメールが無かったので、会話のやりとりはごく最低限のものだったと思います。


学校から帰ると、私はよく本を読んでいました。
小学校の授業では図書の時間があり、少なくとも週に1回は本を借りて帰ることが出来ます。

それから私の住む地域には「ぶんこ」というコミュニティがありました。
そこでも本が借りられました。

一週間に2~3冊は読んでいたと思います


母も私もやりたいことに集中、文字を一生懸命に見ていたことが共通点


私は母からみると「むずかしい子供」だったのかも知れません


大人しい私が小学校の時、ちょっといたずらをして学校から呼び出しされたことがありました。

その時母は黙って話を聞きに行ってくれました。


ちょっと扱いに迷うような子どもだった私は、母に対してもっと興味を持って欲しい、わかってくれない…と思うようになっていました。


でも母には母なりの悩みがあったはず…
母からすれば私をどのように扱ったらいいのか…わからなかったかも知れないし。


とにかく心と心で気持ちを行きかわすー
それがお互いに難しかった関係だったのです。



両親が遺したもの


母が亡くなって3年後の昨年父が亡くなりました


なので今、両親の遺品を片付けています。


晩年、両親は住居型の施設に入所し第3(?)の人生を楽しんでいました。


一戸建ての家を処分して入ったこの施設で、両親ともがそれなりに人生を楽しんだのだと思います。



都心から車で2時間の山間部にその建物はありました。


父にとっては終のすみ家という想いで選んだ場所でした。



後日談で、母は入所に反対だったことを知りました。


東京の下町に生まれ、銀座や東京駅には自転車で行ける距離で育った母にとって、欲しい文化が直ぐ取りに行けるのが当たり前だったし


結婚して郊外に住んでからも、外に出かけることが楽しみだったのは間違いないですね。


そんな母も観念して山奥に引っ越した後、直ぐに友達を作り手話サークルに参加したりと、母なりに人との交流を楽しんでいたようです。


その母の遺品は、洋服やアクセサリーと英語の本。その整理は意外に早く済んだのを覚えています。


洋服は私の趣味とは全く違うし何よりも体型が全然違うので、リサイクルか廃棄の二択でしたね。


英語の本は置く場所もないし、古い書物をみる程の関心は私にはありませんでしたから…申し訳ないけれど廃棄としました。


母の持ち物の中からはこれと言って、私との繋がりがあると実感できるようなものは何も見つかりませんでした。


何もないか・・その想いはいつまでも続いていました。



父は多趣味だったので物はたくさんありました。


特にカメラが好きだったせいか、写真だけで段ボールに二杯はありました。

これはアルバムから外した、写真だけが入ったものですから

おそらく3000枚を超えているのではと思います。

(私が子供たちの写真をデーター化した時に、2000枚くらいあったと記憶していたからこんなものかなと)


実はこれを片付ける作業が、私にはとても意味のあるものになりました。



写真から母の人生が見えた


外にいる時の母は社交的で物怖じしないタイプ。

人と会うのが好き!
コミュニケーションが好き!
家事は二の次!

そして私たちと遊ぶときは全力で遊んでくれた!

私がしようとすることを反対されたことがなかったし、小言を言われた記憶はゼロに等しかった。


写真を見ていると、そういえばそういう人だった…💡

重なった順に写真を見返していると、まるで映画を見ているように思い出されてきた!


遺されていた写真全部を取っておくことができないので、とにかく1枚1枚見る仕訳作業が必要でしたね。


近年のものが一番上に入っていたので、過去に向かい順番に両親の歴史をみる旅 ーそんな感じだった。


一度に片付けてしまうというよりは、わたしの気持ちが写真に向いた時に箱を開け仕訳をしていました。

時間を掛けることで自分の気持ちがだんだん落ち着いてきたんです。


私が知らなかったものが少しづつ見えてくる


親の人生を丁寧に味わっているという感じ。


そうしているうち箱の底が見えてきました。

段々と父と母の一人ひとりの人生が…


両親が出会った頃のラブラブな写真もあったりで。


今も昔も若者は良いな~なんて普通に思ってしまうような、イケてる写真もあって微笑ましい。


その後に両親の育児中…つまり私たち姉弟が大きくなる過程も見えてきた。


子育てで忙しくなったのでしょうね、私たちが知らない写真も含め本当にたくさんの物がお蔵入りされていた。


母は私たち子どもとの写真では、うそ偽りのない満面の笑みを浮かべています。


ふくよかで幸せそうです。どの写真もそうなんです。


母は楽しそうで、私たちも昭和の ”ザ・子ども” という感じでとても懐かしい


文章を書くその後ろ姿の印象が強かったから、その写真が見せてくれた母が幸せそうで本当に良かった!


私が時折母が辛いように見えたのは錯覚なのかもしれないし


逆に私をそっとしておこうという配慮だったのかも知れません。



全部繋がった


昨年の6月から写真の仕分け作業をしていますが、ようやく今最終段階に差し掛かっています。

父の命日(5月末)までには何とか終わらせたい…そういう想いです。


写真の整理も…あとわずかです。


沢山の写真を見て・・
モヤモヤがスッと消えた


でも不思議
私がこうやってnoteと出会い、本が好きで良かったと感じた時期と、

・本が好きになった頃を思い出せた
・母の想いを想像できた

 この時期が重なった。



すべてが繋がったのかも知れない。


私と母は文章が好きで、それぞれがそこに想いを落していた。


直接深い話は出来ていないけれど、そういう繋がりもあるのかとなぜか納得できた。


父には、写真を通して見えない世界にある ー とてもいい贈り物を遺してもらえたと感謝している。


これでようやく、遺品整理を全て終えることができそうです。

 




最後までお読みいただきありがとうございました。



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