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なので“愛”は証明するのに時間がかかるって…
ドラマ「海に眠るダイヤモンド」の
主題歌だった歌。King Gnuの「ねっこ」
懐かしいような、せつないような、
どこか悲しいようなメロディ。
ドラマの内容ともリンクして、
流れると涙腺が緩んでしまう。
メンバーで作詞した常田さんは
「艶やか」って話していた。
歌詞にある花を思うと、色味が浮かぶ。
壮大な雰囲気も感じるメロディ、
広い世界の中のほんの小さなこの場所で、
あなたのそばで根をはって、
ささやかに咲いてたいって、
そんなふうに聞こえた。
サブボーカルの常田さんが歌う歌詞、、
なんて歌ってるんだろう。
好きな声だけど、淡い感じで
はっきり聞き取れないのがまたいい。
ただ君が泣くなら僕も泣くから
心ふたつ悲しみひとつで
何十年先も咲き続ける花
無情の上に さあ咲き誇れ
ここにずっと抱いていただろう
私にとっての理想の“愛”があった。
“愛”など語ったこともなかったけど
これを持ち合わせた家族になりたい、と
思ってはいただけで……
“悲しいときは共に悲しめること”
“うれしいときは共に喜べること”
それから
“今あるその気持ちがずっと続くこと”
大きさとか強さとか、頻度とかものの数とか
それらよりは、
静かで派手でなくて、短くて少なくても
ぶれない、変わらないものがあるとしたら
それがいい、と、、
“愛”とは「続くこと(続けること)」なのかも?
ふと言葉にしてみた。
与えられるだけでなく、
もちろん与えることも。
気持ちを分かち合いたいと思える人を
そういう目線で見つめ続けること。
信じようとすること。
見続けてもらえるように勤しむこと、
信じてもらえるように努めること。
続けるって、めっちゃ難しいなあって
思う。
時間が経って、変わらないもののほうが
少ない気がする。
それ故、“愛”はかんたんじゃないんだ、
とも言えたりする…?
無理にとか、強いてとか
つらくならず、あくまで正直に。
無意識に、自然に
そんなふうにはたらくものだけでいたい。
そのためには
自分が自分に正直じゃないと
いけないって思う。
時にその力は弱ったり
危うい気配を纏うこともあるだろう。
そのときだって無理などしないでいたい。
そこにあてがうのは
それまでの互いの関係性、
経て築いてきたものに尽きるのだろうか、
と思っている。
違和感がある、、
そんなことに気付く時があるとして、
でも認めたくない、失わないでいたい、
そう願うから
たくさん悩むし、迷うし、苦しいし、
ツライ……
(堅物の理想だけ語ってるようだけど
それほどの経験してないけど、
わかるよ、少しは、たぶんね、きっと)
そのときはどうする??
無理したら“愛”は難しいから
無理して求めてるものを
あきらめたりする…
なんていう心情を
構えてみたりした、この頃。
気持ちが緩んで、
自分は楽になれた。
欲張ったなって、省みる。
相手は特段無理などなくて
(こっちに合わせてなどない)
ペースをもって、そうなのであれば
それを守ろうじゃないか。
もっともっと、
多くのしがらみが絡まり付けば付くほど
あきらめる勇気や覚悟は必要なのだろう…
だから簡単じゃ語れないんだけど
歌を聞いて
シンプルに考えさせられた
今の私が思っている“愛”である。
辻褄があってないよ!
きれいごとだよ!って
言われればそれまでだけど、
40代半ばにもなって考えたので
なくもないかもしれない…