クィア作品に救われた話。
ここ5年から10年でLGBTQ+を取り巻く状況は驚くほど変化していると最近実感することが多い。おそらく、若い世代を中心にLGBTQ+という言葉を知っている人は多いだろう。だが、それに関するインタビュー等を見ると「何となく自分とは違って同性が好きみたいな?」といった回答が目立つ。挙句の果てに、クィア作品の説明をしていたネット記事でさえ性的志向と性自認を混同していたことに、少しあきれると共にマジョリティからすれば我々は「マイノリティ」に過ぎないと実感させられた。(もちろん社会の中で約9割を占めているのは異性愛者であることはデータとしても示されており自身も理解している)私自身知らないことは世の中に山のようにあるため、LGBTQ+に関して知らなかったり、誤っている知識を持っていたりするからといってその人を非難したいわけではない。あくまでも自分の中の知識の確認の為と少しでも多くの人が知るきっかけになって欲しいという願いを込めてこの記事を書くことにした。
そもそもLGBTQ+とは
レズビアン(lesbian)、ゲイ(gay)、バイセクシュアル(bisexual)、トランスジェンダー(transgender)という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。だがそれ以外のにも様々な性自認、性的志向、性のあり方があることも知ってほしい。下記のJobRainbow MAGAZINEさんのまとめが非常にわかりやすいのでぜひ読んでみてほしい。
https://jobrainbow.jp/magazine/what-is-lgbt
私がバイセクシャルだと気づいた理由
自分は東北の中でも田舎出身であり、結婚して子供を産み、育児と家事をして年を重ねていくのが普通で当たり前という価値観の元ずっと過ごしてきた。(ここで注意してほしいのが都会だからすべてが進んでいて優れている、地方だから何もかもが遅れていて劣っているという結論にはなってほしくはない。)もちろんそれが人としての喜びであり、結婚することや子供を持つことが夢であるという私の兄弟姉妹や友人、家族の存在、そしてこれを読んでいるあなたを否定したいわけでは全くない。ただ、小さい頃から友人間で繰り返される、どんな人と結婚して子供にはどんな名前を付けるかといった会話や親戚から「彼氏」の存在や結婚や育児、子供はいつほしいのといったことを聞かれるたびにそれが普遍的な会話だとは理解しつつもちょっと疲れていた。(かといって私はアロマンティック・アセクシュアルではない)
そして私は女なのだが、学校の男性の先生に「女の子なのに理系なんだすごいね!」(そこに悪意は一切なく先生からすれば褒め言葉である)や、「もうこれ以上勉強しなくてもいいんじゃない笑」(男子には言っていなかった)といったことを言われたこと、男性の家族や親戚(私と同い年くらいのいとこ等も含む)が全員座って談笑やテレビで野球観戦をしている中で「女の子なんだからずっと立ってお手伝いしなさい」と何度も言われたことなども重なり、考えすぎなのかと思いつつ性とは何なのか、聞いたことがあるジェンダーとは何なのかといったことをインターネットを使って様々なことを調べるきっかけとなっていった。
そんな中で見つけたのがLGBTQ+という言葉であり、私はとてつもなく衝撃を受けた。なぜなら恋愛的な感情、性的な感情は男女間のみで完結すると思って育ってきたからだ。(上記で述べたことはどちらかというとジェンダーや男女間の差別の話ではあるがここでは割愛する。)
私は昔から女優が好きだった。男性アイドル、女性アイドルどちらも好きだった。高校の時同じクラスの女子にときめき、憧れや友情といった感情以外の感情が芽生えていた。友達から○○ちゃんって「レズなん?笑」と聞かれたとき、違うよと言わず(言えず)「どうかな~秘密だよ笑」と言った時のなんともいえない気持ちがやっとわかった気がした。もちろん自分が好きになる、応援する、推す相手(俳優、アーティスト、アイドル、声優、スポーツ選手、など)が同性だからと言ってはい、同性愛者です。とはならないし、誰がどんな相手を好きになるのかは自由である。また、それは思春期特有の単なる同性に対する憧れに過ぎないよという人もいるだろう。でも、今では自信をもってバイセクシュアルだと自認している。だが、日常生活で誰かに話したこともないしカミングアウトするつもりもない。必要性を感じないし、何より身近で同性愛に関する映画やその表象に対して嫌悪感を抱くまたは面白がっていたのを目撃してしまったから。何でも話せる兄弟姉妹にもそれだけはいっていない。だが、自分のことを恥じるべきだとも、可哀想な存在だとも、隠すべき存在だとも思ったことはない。
アメリカ初である、ゲイと公表していて選挙で選ばれた公職者である、かの有名なハーヴェイ・ミルクは身近な人にカミングアウトすることを推奨していた。彼のことは尊敬しているし、LGBTQ+コミュニティに多大な影響を与えアメリカにおいてLGBTQ+の権利獲得に大いに貢献したことは明らかである。だが、私は必ずしも公表しなくてもいいしそれこそ個人の自由なのかと思っている。また、過度に自分のセクシュアリティをラベリングしなくてもいいと思っている。なぜなら、同じバイセクシュアルでも男女を好きになるのが5:5な人もいれば1:9の人もいるし、その逆もあり得る。しかも自分が当てはまるセクシュアリティの「ラベル」がなく苦しむ人もいるはずだから。それと同時に自分のセクシュアリティに名前を付けることで自分は一人じゃないと連帯感を感じる人もきっといる。だからこそ難しい。だが、いろいろ悩んでいるかもしれないこれを読んでいるあなたに言えることは、あなたはひとりじゃないということだ。また、当事者ではないとしてもLGBTQ+について考えるきっかけとなってくれたら嬉しい。
ハートストッパーに救われた話。
上記で述べたが、LGBTQ+について調べていく中で出会ったのがハートストッパーという作品だ。
簡潔に言うとゲイであるチャーリー(ジョー・ロック・手前左)と一つ学年が上のニック(キット・コナー・手前右)が段々とひかれ恋に落ちる物語である。恋愛だけでなく、家族や友人のあり方そしてメンタルヘルスや摂食障害にも言及し非常に暖かく、見ていて非常に安心する作品である。私が最も心を動かされたのは、ヘテロセクシュアルだと思っていたニックが段々とチャーリーにひかれ、自分のセクシュアリティに悩み、「AM I GAY?」とインターネットで検索する場面である。
様々なセクシュアリティがあると可視化された現代でも、差別や弾圧が世界各地で起きている。それが宗教からくるもので絶対に受け入れないといったものから、自分とは違う言わば「異端」な者に対する嫌悪感や無理解による差別・弾圧があるから一括りにするのは難しい。そのようなニュースやLGBTQ+についての不確かな情報、過度に性的に面白おかしく囃し立てる記事、同性愛診断と称し見ている人の不安を煽るだけのサイトが、ニックのパソコンに映し出され、涙する場面があるのだ。この場面が過去の自分と重なり、気づくと涙が流れていた。それと同時に、この経験は自分だけじゃないのだととても安堵した覚えがある。
今までのLGBTQ+等のマイノリティの表象は、ほぼ確実にどちらかが死ぬ、殺される、アウティングされる、自殺する、エイズにかかる、いじめを受ける、変な人として描かれる、カモフラージュのために異性と結婚して終わる、何かしらの差別を受ける、またはそれと闘った歴史が描かれることが多くハッピーな展開となるのはほぼなかったといっていいだろう。もちろんそのような歴史がなければ今のような「寛容な」世の中にはなっていないし、この生活を享受できているのは紛れもなく権利獲得のために闘った先人や苦しんできた人がいるからであり、それを忘れてはいけない。だが、そろそろステレオタイプではなく、多種多様な「私たち」の物語が描かれてもいい頃だろう。そういった意味でも誰一人取り残さないこの作品が私は非常に好きなのだ。だが、ここで考えなければいけないのはこの作品が100%ハッピーで幸せなのではないという点だ。ゲイだとばれてしまったチャーリーは学校内でいじめを受けていたり、それきっかけで摂食障害になってしまうし、同性に恋した自分をずっと受け入れられないかつ両親も寛容ではないであろうベン(セバスチャン・クロフト)の様子やレズビアンであることが祖父母には受け入れられないだろうと諦める様子やトランスジェンダーのエルが周囲となかなか馴染めない様子(これは転校してすぐということも多少なりともあるだろうが)、バイセクシュアルのことをからかうようなニックの兄弟のことも描かれる。単なるキラキラ恋愛物語ではなく、それプラス誰もが抱えるような普遍的な悩みから個人個人が抱える悩みが、鋭い描写でそれでいて間違った知識がなくそして冷やかし等もなく、丁寧に描かれているのが全世界から支持を集める理由なのだろう。ちなみにこのドラマを使ってカミングアウトした人もいるそうだ。ぜひまだ見ていない人は一話だけでも見てほしい。今の段階で(2024年3月)シーズン2まで更新されており、シーズン3の撮影も完了していると公式インスタグラムが報告している。
最後に
こうやってまとめてみて気が付いたのはセクシュアルマイノリティについて知っているほうであるはずの私も知らないことがまだ多くあるということだ。知らないうちに誰かを傷つけてしまっている可能性は誰しもあるはずで、無論私もその一人である。最近、理解が進んできて喜ばしいと思ったと同時に無知ゆえの攻撃、誹謗中傷もネット上でかなり目立つ。同性婚を認めると社会が変わってしまうと言った人もいるが、社会は変わってしまうものでもなく社会はすでに変わっているともちょっと違っていて、今までは隠さなければならなかった、または隠さなければならないと思っていたことが表現できるようになったのではないかと思う。
よくネット上で「多様性を要求するならマイノリティさんを気持ち悪いって言うのも多様性でしょ笑」や多様性を検索するとうんざりや意味ないといったサジェストが出てくることに驚く。もちろん人間だからそう思う人もいるはずだ。だが、それが他人を攻撃していい理由にも差別をしてもいいという免罪符にはならない。私は別に優遇してほしいとも一切思わないし、ましてや無理に認めてほしいとも思わない。なぜなら認めてあげるといった言葉にはやはりマジョリティがマイノリティのことを認めるといったニュアンスが含まれることが多いからだ。だからこそ「適度な無関心」でいるのも悪くないし、自分も偏見があるかもと過度に思い込みすぎて疲れる必要もないと思う。自分のペースでそれでいて、きちんと情報そして考えを常にアップデートできる人間でありたいと思う。そしてすべての人が自分らしくそれでいて幸せに暮らせるように常に願っている。
駄文を読んでいただきありがとうございました。少しでも何かを考えるきっかけになればそれ以上の喜びはありません。
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