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自分の原点を探る旅<ROOTS>を受けて「私は私をあきらめない」【1】
2024年6月~9月の4か月間、グループコーチングの要素をふんだんにちりばめた自己変容プログラム<ROOTS>を受講しました。内省するのが好きな私でも、これほど自分のことを深掘りした期間は今までありません。本当に濃厚な4か月間で、間違いなくROOTSが私の人生のターニングポイントになったと感じています。
今回は貴重な体験をさせていただいた備忘録として、ROOTSを受講して生じた私の変化をnoteにまとめていきたいと思います。
(あまりに長編になったので3部作で出していく予定です)
ROOTS 5期は定員に達したため募集は終了してしまいましたが、6期以降の受講者も募集中だそうです。ROOTSお試し版として【あきらめ探求ワークショップ】もあるので、興味がある方はぜひどうぞ!
<第1章> 受講するまでの長い長い話
私は生きることに疲れていた
私は元来とても不器用な人間だった。子どもの頃から繊細で引っ込み事案、頑固で融通もきかなければ、周りとのコミュニケーションも苦手だった。そのせいで苦労したことは山ほどあるし、社会人になってからの苦労は人の倍はあったように思う。他人から馬鹿にされることなんてしょっちゅうだったし、計算もできない、手先も不器用、コミュニケーションは下手で、仕事ができない人のレッテルを何年も貼られてきた。いつだって私は人から劣っていた。
だからいつも私のことを見下してくる人と関わらざるを得なかったし、面と向かって「そんなこともできないんだ」と嗤われることもあった。あまりの不器用さにハラスメントのターゲットにされたこともあって、残業中に大泣きしながら仕事をしたこともある。それほど私にとっては大人になってからの良い記憶がない。いや、子どもの頃からも「楽しい」と思えるときがあまりなかった。苦労した分、人より幸福を味わう時間も少なかったように思う。
そんな私だが生来の頑固さのおかげか過酷な状況に耐える力はあったらしい。不器用なりになんとか努力を重ね、田舎の一企業から東京の上場企業に転職してキャリアアップすることに成功した。さらに運が良かったことに、2020年頭には結婚~妊娠と嬉しいことが続いた。その頃世の中はコロナ渦でギスギスしていたが、ありがたいことにそんな世間とは程遠く、新しい家族とともにおだやかな日々を過ごすことができた。30も半ばになって、ようやく人生が好転してきたように思えた。
出産後は私によく似た繊細な娘に寄り添うため、在宅フリーランスの道を選んだ。すると私が今まで経験してきたこととは真逆の現象が起こりはじめた。急に私の仕事ぶりを称賛する声が増えたのだ。「仕事どうやって進めてるんですか?教えてください」「さすがですね」など。皆一様に私を褒めそやした。あまりの変わりっぷりに自分が一番驚いた。
はじめは周りの反応に戸惑った。が、徐々に嬉しさが増してくる。こんなに人から褒められたことは私の人生で一度もなかった気がする。やっと今までの苦労が報われたんだと思った。だから周囲の期待に応えたくて求められればヘルプにいったし、他人から認められたくて自らたくさん行動を起こした。アクティブで積極的な人間になれば周りから目をかけてもらえると思ったからだ。でもその状態は長くは続かなかった。
仕事やタスクをたくさん抱え、周りに気を遣い、交流会に積極的に出ることを続けるうちに、少しずつ疲弊していく自分がいた。そのとき既にキャパオーバーだったのだろう。体調も良くなかった。とくに耳の不調が酷かった。
気持ちも疲れていた。常に余裕がなくて、家族と過ごす休日もゆっくりすることができない。いつもカリカリしていた。家族と過ごす時間を確保したくて選んだ道なはずだったのにそうはならない。ままならない現状に自分が一番焦っていた。でも肉体的・精神的疲労以外に、それとはまた違った疲れ・違和感が生じていることに気づいた。
それはいつも相手から褒められるたびに感じていた。周囲の言葉が私の中で上滑りしていくのだ。相手からの誉め言葉や感謝の意を聞いても、知らない誰かへの称賛を聞かされている気分になる。『これは本当に私のことなんだろうか』と自分への言葉なのに、素直に受け取れなくなっていく。相手の声はどんどん遠く離れていくのに、重みだけが増していくようだった。
これまでの辛い社会人経験から、私は人に良く思われようとしてあえて理解ある素振りをする出来た大人みたいな対応を取っていた。けれど、本当の私はそうじゃなかった。わがままで気分屋で頑固で不器用だった。さらには他人のことなんてあまり興味がなかった。けっこう嫌な奴だ。嫌な奴なら嫌な奴なりに、自分の努力の成果を誇示して他人からの称賛を当たり前のように受け止めればよかった。でもそれすらもできなかった。人から認められる自分を自分が認められなかった。もう私を否定する人はいないのに、私だけが私を否定していた。
自己肯定感の低さや自信のなさもあったのかもしれない。でもそれよりもっと根本的に何かが違う気がした。全然型のはまらない容れ物に無理やり自分を押し込めているような感覚だった。気持ち悪かった。窮屈だった。でもそこから抜け出す術がよくわからなかった。そうこう考えいているうちにどんどん時は過ぎていき、私は自分が知っている自分と他人が称賛する自分との乖離にさらに苦しんだ。
『私は誰からも理解されない、誰も私を受け入れてくれない』
なぜか子どもの頃から感じてきた思いが、再び湧き出てきた。それはいつも私が苦しいとき・疲れているときに出てくる気持ちで、前兆だった。ああまたか、とさらに暗い気持ちになったがもう私にはどうしようもできない。それはいつの間にか見えない圧迫感を伴って私の中に少しずつ溜まっていく。
そしてある日、それは決壊した。
「怖い」から抜け出せない
それは偶然起こったことだった。端的に言うと、人からの悪意に晒されたのだ。仕事中に起こったそれは、私の心を動揺させた。あきらかにこちらに落ち度はない。でも向こうは敵意むき出しでやってきた。心臓がバクバクする。顔が熱い。どうしよう。
でも社会人として変な対応はできない。リーダーなのだから、ここで終わらせなければいけない。逃げ腰に鞭を打ち己を奮い立たせ、隠れそうになっていた理性を捕まえてフル動員させた。おかげでなんとか難を逃れることはできた。仕事仲間にも起こった事象を説明して、注意喚起を促した。そこまでは自分の感情をギリギリ抑制することができていたし、大人として社会人として過不足のない対応ができていたと思う。でもその後はダメだった。
その日は眠れなかった。元々寝つきはとても悪い方だが、日中に起こった出来事が繰り返し思い出されて眠れる気がしなかった。仲間の前では保てていた理性は微塵もなく、ただただ感情のまま恐怖を味わった。
こわいこわいこわい、嫌だこわい、こわい。ずっと同じ言葉が頭の中に繰り返され、消えることなく反響した。泣きそうだった。隣に愛しい家族がいるのにそれに癒されることもなく、なんとか涙をこらえるのに必死だった。耐えるために布団の中で歯を食いしばった。そういえばいつからかよく歯を食いしばることが増えていた気がする。そうしてその夜はひたすら恐怖に耐えた。
そして翌朝、目が覚めたとき。
はじめに浮かんできた言葉は『怖い』だった。
ああ、もう無理だな、と寝ぼけた頭で思った。限界だった。心の底を探っても意欲や活力がまったく出てこなくなった。だから私はそのとき抱えていたほとんどの仕事を手放した。
40歳は人生の折り返し
それからの私は何か月も最低限のことだけをして、それ以外はぼーっと過ごした。何もしたくなかった。人と関わりたくなかった。SNSを見ることもやめた。前向きにキラキラ発信する人達を見たくなかった。声の大きい強気な発言をする人も嫌だった。私のように落ち込んでいる人の声も聴きたくなかった。たくさんの声を遮断した。身体の調子も相変わらず良くなかったので、ひたすら家にこもって休んだ。
実はこういう急激な落ち込み方をするのは、今回が初めてではない。私の長くはない人生の中ですでに何回も起こってきたことだった。いつもギリギリまで何かを我慢して、急にポッキリ折れてしまう。その度に私は周りに迷惑をかけ、自分も死にたいくらいの耐えられない気持ちになって、毎日生きるだけで精一杯になった。
素敵な家族がいて、優しい環境で働いて、誰も私を否定する人がいないのに、また同じことを繰り返す。やっと掴んだ幸福でさえ、このやっかいなループから抜け出すカンフル剤にはならないのか。こんなに恵まれているはずなのに、目の前は暗くて足元がおぼつかない。なぜいつも私は繰り返してしまうのか。延々とそんなことばかり考えていた。
そんな鬱々とした日々に、私の気持ちを一変させる出来事があった。
夫から前の職場の同期が転職するらしいという話を聞いた。私は会ったことはないが、話を聞くだけでその人がとても仕事ができる人で、会社からも期待されているだろうことがわかった。ただ有能さゆえにとても多忙で体調を崩しがちな人だということは知っていた。
年は私と同じくらい。実家はかなりのお金持ちで、性格は冷静でおだやか。大きな会社で一定の地位を築き、幼い子どもに将来を見据えて情操教育まで施す立派な人だ。おそらくこういう人が社会を動かす大事なファクターになるのだろう、私とはぜんぜん世界が違う人だと感じていた。
そんな人が安定した基盤を築いていた今の職場を辞めて転職するという。彼は夫にこう言ったらしい。
「自分はもうすぐ40歳になる。40歳は人生の折り返し地点。これからの人生は子どもとゆっくり過ごしたい」
彼の発言に私は衝撃を受けた。
『40歳は人生の折り返し地点なんだ・・・』
そのとき私は38歳。40歳まであと2年弱。あと2年で私の人生、半分終わるのだ。正確にいうと半分ではないかもしれない。私の寿命はもっと長いかもしれないし、もっと短いかもしれない。でも世間一般で見ると、私の人生はすでに中盤に差し掛かっていた。
私は残り半分もこの調子でいくのか?この負のループから抜け出せず、同じことを繰り返し続けるのか?これは死ぬまで続くのか?
そんなの嫌だ。
残りの人生はもっと前を向いて生きていきたい。
だから今このタイミングで変わりたい、そう思った。
ただそれを実現するための方法はさっぱり分からなかった。でも変わりたいという気持ちだけは、私の奥底に根を張り続けていった。
そんなときに見つけたのがROOTSだった。
<第2章> ROOTSに出会う
偶然見つける
ROOTSとの出会いは本当に偶然だった。たまたま参加したnoteの書き方講座の主催者がROOTSでコーチをしているぐっちさんだった。実はぐっちさんのことはこのとき初めて知った。どんな人なんだろうと思って彼女のnoteやXをなんとなく眺めていたら、たまたまROOTSのページを見つけたのだった。
ROOTSのページをはじめて見たとき、まずはトップ画像に吸い込まれた。水滴が落ちた瞬間だろうか。波紋が広がりきらきらと輝いている。水面は彩り鮮やかで、『ここは一体どこなんだろう』とぼんやり思った。
下にはコーチングの説明があって読んでみたけれど、正直よくわからなかった。「自分の原点」「あきらめ」「制限していること」「気づき」。どれもこれまで触れたことのない、未知の領域に感じられた。このワークは一体何なんだ?最終的に何が得られるんだ??と疑問しか湧かなかった。
でも何故だかとても気になった。何をするのかまったく想像がつかないのに気になって気になって仕方がない。ちょうどそのとき、ROOTSお試し版としてオンラインで【あきらめ探求ワークショップ】の募集が出ていた。私みたいなぽっと出が参加しても大丈夫なんだろうか、場違いかもしれない。そう思ったが、私の目はいつの間にかROOTSのことばかり追っていた。
結局ワークショップの2日前になっても決断できなかったので、『よし、明日になっても募集していたら参加しよう』と決めた。次の日、まだワークショップの募集は出ていたので、私はやっと腹をくくって応募することにした。
ワークショップで出た言葉
実はそれまでコーチングについての予備知識はほとんどなかった。知人のコーチの無料モニターに1度なったことがあるくらいで、カウンセリングとの区別も曖昧だった。だからワークショップといいつつお悩み相談みたいなものなんだろうかと考えていた。
当日のコーチはぐっちさんとたおちゃんの二人で、おだやかな雰囲気の中ワークショップは行われた。ワーク内では自分が話している時に全員のカメラをオフするかオンにするかを選べた。Zoomで繋いでいるのにカメラオフにするなんて珍しいなと思ったので、全員のカメラをオフにしてもらい、自分の心の内側を打ち明けることにした。それから今の現状と何に苦しんでいるのかを真っ黒な画面に向かってひたすら話し続けた。
誰も何も言わない、顔も見えない、反応が分からない。でも私は話さなければいけない。自分の話術のなさに始めはがっかりして、なんとかうまく話せないものかともがいた。でも暗闇の中、無我夢中で話をつなげようと自分の中のあらゆる引き出しから色んなものを引っ張りだしてくると、うまく話すとか予定調和とか、そんなものに囚われない言葉たちが次々と飛び出してきた。
自分でも何を言っているのかよくわからなかった。支離滅裂なことを言っていた気がする。途中からうまく話すことは諦めた。すると、だんだんと自分の話だけに気持ちが集中していった。余計なものは削ぎ落されていって、本心だけがぽろぽろと口から出てくる。口が勝手にしゃべりだす。そして最後の最後、やっと絞り出した言葉に自分でびっくりした。
「私は、全身全霊で自分を生きたい」
……なんだそれ。
全身全霊なんて生まれて初めて言ったよ。
話している自分が一番驚いた。何よりも自分の中にこんな力強い言葉が眠っていたことにもっと驚いた。私さっきまで苦しかったんじゃなかったっけ。どうしたんだ自分。
本当は、苦しい胸の内を聞いてもらって、自分を慰められればそれでいいやと思っていた。でも違った。まったく予想もしなかった未知の言葉とエネルギーが自分の中から出てきたことに、自分自身が困惑した。
なんでこんなことを言ったんだろう。ぜんぜん分からない。あまりの衝撃に話の前後も忘れるくらいだった。でもこれが私の心の底からの本心なんだ、という確信はあった。
もしかしたら
ROOTSを受ければ、私は変わることができるかもしれない。
一つの希望が持てたような気がした。このコーチングを受けたら私の中の何かが変わるかもしれない。私の変わりたいという願いが叶うかもしれない。
だからワークショップが終わってその日のうちに、ぐっちさんへROOTSを受講すると宣言した。
ROOTSが始まる
私が受講を決めたのは対面コースだ。オンラインコースもあったが、オンラインイベントはしょっちゅう出るので、あえて他の人の生の声が聴きたいと思って対面コースを選んだ。
対面コースは都内の会場で行われた。まったく知り合いのいない講座を受けるなんていつぶりだろうか。しかもオフライン。とにかくドキドキである。人見知りも相まって前日から緊張していた。それと同時に不安と期待が入り混じるってこういう感じか、と少し冷静な頭で思った。
当日会場に着くとみなさん笑顔で迎えてくれた。「はじめまして!」「どうやってこの講座を知ったの?」とにこやかに話しかけてくれる。よかった、怖い人たちじゃない。ワークショップで一緒だった、ぐっちさんもたおちゃんもいる。もう一人のコーチ、さよさんもいた。みなさんがコーチングが始まる前から場を和らげてくれたおかげで、そのときまだ元気がなかった私はちょっと救われた。
対面コースの受講者は私1人だけだったが、オンラインコースの人が振り替えで参加したり、過去の受講者さんも参加してくれた。おかげで全4回あるROOTSでも私1人だけが参加、ということにはならなかった。むしろいつも顔ぶれが変わることで毎回違う人の話を聞いたり意見をもらったりして、都度刺激をいただけるのが私には楽しかった。
ちなみに初回はオンラインコースの2人が対面に振り替えしていて、私を含めた3人での受講だった。初めましての3人とコーチ3人で、ROOTSは始まった。
最初に黄色のワークブックを手渡される。これはコーチング中の気づきやそのときの自分の気持ちを書くためにROOTSでは必要不可欠なものだ。A4よりもさらに大きく、F4サイズという単位らしい。花より男子か?小さなバックだと全然入らなくて、表紙も分厚くてそこそこ重い。
とても立派なワークブックを渡されて、コーチングすら初めての私がこれを使いこなせるだろうか?と思った。黄色のワークブックが重みをもってその存在感を主張してくる。でも明るい色だったので、深刻な重さには感じなかった。よくわからないけれど、これから何かが始まるんだなと感じた。
<第3章> 第1の変化:直感を取り戻し始める
私を構成する大事な要素
ROOTS1では自分の子ども時代を思い出して、それを話した。まずは自分の一番古い記憶から探る。私が覚えている一番古い記憶はなんだろうと考えたら、保育園で大泣きしていた自分を思い出した。4歳くらい、たしか年中だったと思う。
そのときの私は生まれてはじめて親元を離れて知らない場所に連れてこられ、戸惑って泣いていた。ちょうど廊下の水飲み場の前で大泣きしていたので、周りの子たちが「どうしたの?」と心配して話しかけてくれているシーンだった。
当時にしても保育園デビューするには遅かった気がする。親元を離れると不安がる私を心配して、両親はそこまで引き延ばしてくれていたのかもしれない。そういえば小学生になっても親と一緒じゃないと安心して寝れなくて「もう小学生なのに」と周りの親から言われたこともあった。そのくらいの時期からすでに私は繊細さを発揮していたんだな、とぼんやり思った。
次に思い出したのは中学生くらいの頃。母親からなんとはなしに「あなたは変わってる子だから」と言われたシーン。母は冗談半分みたいに言っていて、私もそれを言われてとくに嫌な気分はしなかった。ただ『普通ってなんだろう?どうすれば普通なんだろう?』と疑問が湧いた。傷ついたりしたわけではないが、いつも頭の片隅にあった『普通ってなんだ?』という気持ちが居座るようになったきっかけだったのかもしれない。
さらに過去を遡ると、今度は小学校1年生のときにペンションの1.5階くらいの高さから飛び降りて捻挫したことを思い出した。なぜこれを思い出したのかは自分でもわからない。ただ、飛び降りた理由は周りにいた中学生のお兄ちゃんたちが飛び降りて遊んでいて、『楽しそう、私もやりたい!』と思って真似したからだったのは覚えている。なんかそれまでの繊細な自分とは違う自分が急に出てきた。1.5階から飛び降りるってどういう心理だ?
そこまで思い出して気づいた。そうだ、私は昔から心配性なくせに何かに急に飛び込んでいく謎の癖を持っていた。0か100でバランスなんて全く取れない。突発的に行動を起こして、後から困ったりすることなんてザラだった。
大人になって行動範囲が広がってからはとくに顕著で、一人で初夏の秩父の峰に登って熱中症で死にかけたり(でも登り切った)、富士山のふもとで高速バスに乗り遅れてこれまた一人で途方にくれたり(しかも日曜夕方、ちゃんと帰れたけど)、なんか繊細さを抱えてるわりに結構ハチャメチャなこともしていたなと我ながら思った。
話し終わった後には、自分を構成している要素は何かをまとめた。それまでのエピソードから「不安感」や「安心を求める」といった言葉は当然出てきた。でも私の中で最も大きく占めているものはそんなものたちでなく、何より「直感」だと感じた。そう、私は生まれたときから直感的に生きてきた人間だった。
どうして忘れていたんだろうか。最近の私は直感的に生きるのをやめ、とても理性的に生きていた。理性的であることは悪いことではない。ただそのときの私はいつもどこかで『とても窮屈だ』と思って暮らしていた。
私にはもっと感性豊かに生き生きとしていた時代があったはずなのに、今ではすっかり枯渇している。でも「私には直感が必要なんだ」と気づいたら、なんだか大切な水脈をもう一度掘り当てたような気分になって、鬱々としていた気持ちが久しぶりに晴れやかになった。
直感に従って行動してみた
その後は宿題が出されて、次のROOTSまでに各々自分で決めた課題をやってくることになった。わたしは【直感的な自分を非日常で試す】を自分に課した。このときの宿題の内容はnoteにまとめている。
ちなみに神社に行くところまでが宿題で、その後の変化はまったく予想していなかった。ただ、このあたりから鬱屈としていた気持ちが少しずつ前向きになっていくのを感じた。
またこのnoteを書いた後には、毎日手帳を書くという新しい習慣もできた。3日坊主で今まで手帳を買っても全然埋められなかった私が、はじめて3か月以上毎日ページを埋めることを続けられている。とても大きな進歩だし、それまでの鬱々とした気持ちが嘘みたいに毎日が楽しくなってきた。
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文字ばかりの日もあるし、書き方はオールフリーだ。
ちなみにシールを使う発想は、ROOTSの場に置かれていたシールたちからヒントをもらった。
もっと痩せて綺麗になりたい、色んなところへお出かけしたい、美味しいものが食べたい、新しい洋服が欲しい、とたくさんの新しい欲求たちも出てきた。それまで、我慢したほうがいいよねと自分を押さえつけ封印してきたものが、一気に噴出したようだった。あんまり急激な変化だったのでちょっと懐が痛んだが、『色々欲張ったっていーじゃん!』と自分を肯定する言葉すら出てくるようになった。
それからの私は自分の直感のままにあらゆるものを選択をした。すると不思議なことに、その選択に満足感を得られている自分がいた。今までは何を選んでもしっくりこない、どうしてこんな選択をしてしまったんだろうと後悔すら感じることが多かったのに、自分の心の声に従ったらすんなりと満足感を得られてしまった。
そこでさらに気が付いた。私はこれまで誰かの理想を自分の理想だと思い込んでいたんだ。誰かが良いと言ったものを選び、声の大きい人たちの言葉に行動を左右され、自分自身が望んでもいないものを選択していた。だからいつもどこかに不満と不安を抱えていたんだ。
なんだそんな簡単なことだったのか。そう、とても簡単なことだった。けれどとても難しいことだった。でもROOTSはそれに気づかせてくれた。
クローゼットをカラフルに
ROOTS1から起こった急激な変化は、目に見えるところにまで波及していた。それが私のクローゼットだ。
私はROOTS1のとき、ライム色の上着を着ていった。あんまりオシャレに見える服がなくて、なんとなくそれでいいやと思ったからだった。すると私以外の二人は真っ赤なワンピースを着て登場した。これにはみんながびっくりした。「すごい、エネルギーに満ちてるね!」とみんなテンションが上がったが、密かに一番興奮したのは自分だったんじゃないかと思う。
なぜなら私の家にも彼女たちが着ているのと同じ真っ赤なワンピースが眠っていたからだ。それは私が夫とお見合いしたとき以来袖を通していなかった大事なワンピースだった。
『私も着てくればよかった…』と思ったが、そのワンピースは最終回のROOTS4に着て行くことに決めた。さらに赤いワンピースを最後まで取っておく代わりに、ROOTS2と3は他の色を着て行こうとなぜか一人で固く誓った。
だがそうすると着て行きたい服がない。私のクローゼットの中は黒とかボーダーとか白黒チェックとか無難な色ばかりで、体型を隠すような体のサイズよりも大きめの服ばかりだった。それまでは何とも思っていなかったのに、急に自分が持っている洋服たちが味気ないものばかりに感じた。
よし、新しく服をそろえよう!
最近は選ばなかったカラフルな洋服たちをタンスの奥深くから引っ張り出した。さらには足りないと感じたらセールを狙って買い足した。そういえば私は色のはっきりした、いうならばパキッとしたカラーの服が好きだった。私はいつから無難な服ばかり着るようになっていたんだろうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1728624732-dIvpY6zw1bAegoylPV54FKji.jpg?width=1200)
パーソナルカラーとか、骨格診断とか、年相応のものをとか、もうそんなの関係なかった。自分が着たいものを着ればいい。似合うものじゃなくて、好きなものを選べばいい。そう思って自分がときめく服たちをそろえていったらクローゼットがカラフルになった。
楽しかった。とても楽しかった。久しぶりに姿見の前でカラフルな洋服たちを自分に当てて、ああでもない、こうでもないと一人ファッションショーをした。以前はこれに何十分も費やし、しまいにはヒールまで持ち出し、沢山の洋服の組み合わせを試してはお気に入りのセットを発見したりもしていた。そのときの気持ちが蘇ってきた。
買いそろえた洋服たちに気持ちが満たされるのを感じた。そしてROOTS2では真っ青なワンピース、ROOTS3では緑のブラウスを着て行くことにした。最後は赤いワンピースだ。ついでにROOTS4の直前には野暮ったいロングヘアをやめて、人生で初めてショートボブにも挑戦した。
とにかく楽しくてしょうがなかった。自分の心に従って選ぶことがこんなに自分の気持ちを明るくするのだと、アラフォーになってやっと実感した出来事だった。
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