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三十路湯河原執筆合宿

私は今、湯河原のとある宿にいる。遡ること2023年11月、友人達とお互いのブログや仕事のレポートを読み合い、称え合ううちに、「というかこんなに面白いんだから本出せるんじゃない?」と盛り上がり、その場で2024年5月に開催される文学フリマに応募した。

それから季節も移ろい、現在は2月も終わりに差し掛かっている。

我々は10年来の仲であり、それぞれの生活がある中でも、定期的に時間を作っては、飽きずに更なる親睦を深めている。大人になってこういう友人がいるのは本当に貴重である。

文学フリマへの出展が決まってからも、何度か開催された食事会での議論の中で、あらゆることがスピード感を持って決まっていった。

「本の表紙のイラストを描いてくれるデザイナーさんを知り合いに見つけた」「表紙はアンニュイな女性のイラストがいいかも」「タイトルはキャッチーだけど、かぶらないようにしたいよね」「文字のフォントサイズどうしようか」「もしドラマ化したら主演女優はどうしようか」「インタビューを受けられるように、SNSを開設した方が良い」「とはいえこのご時世だし、炎上しないように顔はメディアに出さない方針でいこう」などと、肝心の中身以外はほぼ全て決まってきた。典型的な形から入る女達である。

しかし我々も無駄にこの10年の関係を積み重ねたわけではない。自分自身のことも、相手のことも、20代の頃よりずっと深く理解しているつもりである。つまり、こんな未来が訪れることは、文学フリマに応募したあの秋からお見通しであった。「多分私たち、合宿でもしないと一生書かないよ」ということで、文学フリマの応募と同時に、2月に執筆合宿を予約したのである。「年末年始もあるしそれぞれ書いてみて、お互い合宿で持ち寄って読み合ってもいいね。」なんて言い合いながら4ヶ月が経ったが、誰も、一人も、一文字も、書いていなかった。多分お互い心のどこかで「きっと書いてこないだろう。」と思っていたに違いない。

そんな愚かな我々三人集は2月某日の土曜日12:00に東京駅で待ち合わせた。各々が吟味した駅弁を片手に新幹線に乗り込み、新幹線が走り出す前から早々と駅弁に手をつけて、合宿に向けて着実に英気を養っていった。

熱海駅から東海道線に乗り継ぎ、あっという間に湯河原駅に到着した。宿への送迎のバスが来るまでまだ時間がある、ということで、この時期ちょうどピークを迎え始めているという梅の花を見に近くの公園に向かった。こうして都会の喧騒から離れて、四季の変化を感じることで、より良い執筆のアイディアも浮かぶであろう。暖冬とはいえ、冬の寒さがしっかりコートを突き抜けて身体を冷やしてく。すっかり身体が冷え切った我々は、公園到着も早々に食事処を探し、無事に甘酒にありついた。7分咲きの梅の花を見ながら、「20代だったら冬はスノボ、夏は無意味に海に行ってたのに、すっかり遊び方が変わったよね。」「まさか梅の花を見ながら甘酒を飲む未来が待っているとは。」「30代でこの仕上がりだと、40代って一体何して遊ぶんだろう。」というわざわざ湯河原まで来なくてもできそうな会話を延々と繰り広げた。

ところで、湯河原というのは言うまでもなく柑橘系の名産地である。現地のタクシーのドライバーさんによれば海に面した坂の多い地形は、柑橘系の育成に最適らしい。駅では無料でみかんを配っており、駅から公園までの道のりにも、至る所に柑橘系の木々が植えられ、民家や路上での無人販売があった。形から入ることをこよなく愛する我々は、例に漏れずしっかりと民家の無人販売でみかんを手に入れた。たまたま家主の女性が通りかかり「ありがとうね、これみんなで食べてね。」との温かい好意から、更なるみかんを手に入れた。

駅に戻り、まだ時間があったので、温かい蒸し立てのお饅頭やら、夜に食べるためのお菓子をお土産屋さんで購入した。

両手に大量の土産を抱え、宿へのシャトルバスに乗り込む頃には、じんわりとした心地よい疲労感と眠気に包まれていた。

今回我々は「執筆プラン」なるサービス特化型の宿に宿泊している。執筆するためのスペースや、インスピレーションを得られそうな本の数々、3食の食事、温泉、さらにはスタッフによる本のレビューや締め切りトラッキングサービスなど、いよいよ執筆活動に向き合わざるをえない環境である。おそらく元々は古い温泉旅館だった建物の一部を外国人観光客向けにリノベーションし、更に「執筆プラン」などを取り入れた設計にしているようで、上書きに上書きを重ね、コンセプトにやや迷走している宿であった。現代的な広々とした執筆スペースにセンスの良さそうな書籍が並んでいると思いきや、廊下には成田空港の到着ロビーばりにあらゆる言語で「ようこそ日本へ」と言う文字が、富士山の写真に添えらて掲げられていた。我々のようなJapanese Peopleを歓迎するメッセージではないことは明確である。温泉は、タイルや作りに昭和の香りが残る風情ある空間だが、なぜだか引き伸ばしすぎてやや解像度の荒い富士山と桜の写真が壁の側面を埋めていた。宿泊した個室は、創業当初から変わらないであろう様子で、良く言えば歴史を感じるものであった。畳の上には大量のヨギボーが配置されており、小さな空間に昭和と現代が異質に入り乱れていた。

「あー何書こうかな」「テーマ思い浮かばない」「最近私たち早起きだし、まだ明日の朝もあるよね」「みかんと言えば去年屋久島に行った時に食べた柑橘の果物で美味しいやつあったよね、あれなんて名前だっけ」(そこから「屋久島 柑橘」「屋久島 ふるさと納税 たんかん」などの検索が始まる)などと、婉曲的に「書けない」と言うことをお互いにぶつぶつと呟き、定期的に「これってただの旅行なのでは」という空気が流れながらも、いただいたみかんやらお土産のお菓子やらを食し、「冷えたし一旦温まった方が良い」などと呟きながら温泉も入ったりした結果、三十路たちの身体には当然のように睡魔が訪れる。が、さすがに夕食の時間まで寝て過ごすのはどうか、と言うことで、今こうしてようやく文章を書いている。

さぁ、明日この宿を出る頃にこそ、お互いの文章を読み合うことができるのだろうか。楽しみである。

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