その感覚ほんもの?
こんばんは。
今日は夜ご飯に久しぶりの卵焼きを作ったら
悲惨な卵焼きになったなこです。
今日は『飽きた』という感覚についてちょこっと書きたいと思います。
飽きた。
仕事に飽きた。人間関係に飽きた。住んでいる所に飽きた。
この生活に飽きた。
飽きたとは
その何きいつも同じでちっとも変わり映えしないしないからだと理由づける。
しかし、本当にそうでしょうか?
飽きるとは
自分がいつも同じ見方、考え方しかしてこなかったということ。
あるものに対して、誰かに対して、同じ見方、考え方しかできないから飽きるのでは?
自分が飽きたと思っていることの右や左や裏側や底を見たことがないとも考えられる。
たとえば
子どもを育てていふ親は子どもに飽きるでしょうか?
飽きませんよね。
なぜなら、子どもが日々成長したするから。
言葉がわかるようになったり、人の話を聞けるようになったり、背が伸びたり、毎日変化している。
その変化があるから子どもに飽きない。
子どもに毎晩同じで童話を聴かせても飽きない。どうしてでしょう?
子どもは毎回、その物語の異なる部分に注目しているからです。
そら豆くんに注目してみたり、グリンピース兄弟の数を数えたり、お家の中に興味を示したりしている。
ストーリーだけを追うと言った単純な聞き方をしてないのです。
1人遊びも良い例です。
大人から見れば単純だと思うかもしれませんが、子どもにとってはそれぞれ複雑な世界を相手にしている、クリエイティブさに溢れています。
それに比べて、大人が飽きるのは、子どものように自分からものの見方を変えていないからではないでしょうか?
物事がつまらないのではなく、
ものを見る姿勢や視線がマンネリズムにおちいっている。
=飽きるのは自分の成長が止まっている。
知っていると思っていながらも、1つの言葉がの意味をちゃんと説明できるほどではない。
読書で例えるなら、大まかに読むだけで、理解はしてない。
人間関係で例えるなら、深く関わらず表面しか見ていない。
だから退屈になる。
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外的ものに飽きると思っている人が多いですが、本当は自分自身に飽きているのではないでしょうか?
しかしそれは、手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。
つまり、自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすい。
逆に、人間として成長し続けている人は、自分が常に変化し続けるため同じものを持ち続けていても飽きない。
人生に飽きるという感覚が存在しない人もいる。
やー。おもしろいですね。
これからもっとおもしろく生きたいなこです。
おしまい。
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