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時間薬tokigusuri

小学校入学式の日、母が美人で可愛いと気付いた。
他のお母さんたちと違っていた。

パツパツに太っていた高校生の頃、新しい水着をおねだりした。
しつこい私に母はひとこと、
「よし!化粧まわしを買ってあげる」
笑ってしまった私の負け。
まわしで海水浴はできない。

高校3年生の兄が三日連続で、夕ご飯に文句を言った。煮物やおでんじゃなく、白飯に合うおかずが良い。
お玉を洗いながら背中で文句を聞いていた母。くるりと振り返り、ぴょーんっと飛び上がった。
兄180センチ超、母150センチ台。
お玉打炸裂、キッチンにコーンッという音が響いた。
涙目の180センチ、ラグビー部。
周りが皆笑ったので、母の勝ち。

姉とは親子よりも親友のようだった。洋服を買う時も、私が選んだものには首をかしげて、姉が選ぶと即決。本当に仲良しで大好きだったけど、年齢を重ねて時々使うようになった車椅子を姉が押すのは嫌がった。
「押し方が雑で酔う」

姑である祖母は母のことを「うちの娘」と言っていた。
祖母が癌で入院した時、はじめて「うちの息子の嫁」と、お医者さんや看護師さんに紹介。
残り時間を知っていた母は(最後になってなんで…)と陰で泣いた。
「嫁なのに、実の娘じゃないのにこんなに懸命に介護してくれてるの」と自慢したくて(息子の嫁)と言っていることに気付いた時、前とは違う涙を流した。

若くして嫁いで、いやなことがあっても絶対にへこたれず、笑って、周りも笑顔にして。

今年の夏を待たずに母が旅立ちました。

身体が弱くて50歳まで生きられないと言われたのに、80代後半まで頑張ってくれました。

母がいなくなって、今。

楽です。

出かける時も母が行けそうな所を選ばなくて良い、出先のトイレの場所を考えなくて良い。
何よりずっと心配していなくて良い。

楽。
でも、少しも楽しくない。

母を支えていた腕の重さが無くなって、虚しさで心が重くなりました。

自分の事より優先して考える誰かがいないのが、こんなに寂しいなんて。
私は若くはないし、母も充分に長生きをしました。
それでもやっぱり恋しくて悲しい。

あれから半年、やっと文章にできたけど、こんな気持ちのままだと知ったら母は呆れるだろうな。
すぐにクヨクヨする私と違って、強い心を持っていました。

盛岡と和菓子と文学や歴史と麺類とお寿司が好きだった母。お店で見知らぬ人に洋服選びを頼まれるくらいオシャレ。上手いだけじゃ無く、昔の田舎街では見ないような料理も作ってくれました。
美しくて強くて面白くて。
何より家族を愛して、全力で守り続けてくれました。

天国も極楽も無いと思っていたけど、
今は絶対にあって欲しい。
先に行っていた大好きなお父さんと、元気な頃のように普通の毎日を過ごしていて欲しい。

命を与えてくれて、愛して守ってくれて本当にありがとう。
まだ時間薬は効いていないけれど、お母さんのように強くなって笑えるように頑張る。

お母さん、
あなたのもとに生まれて幸せです。
これからもずっと愛しています。









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