間違えないように生きることは自分にとって、相当居心地の悪いこと
年末調整の書類を記載していて、『夫』と記載するはずの欄を『妻』と記入してしまった
続柄記入の欄を毎年よく間違える私である
書類の聞き方の問題もあるのかもしれないが、解釈を間違えると明らかに書き間違う
書類によって聞き方(捉え方)が違う場合があり、毎回困っている
元々国語力に欠けている&おっちょこちょいという性格であるのも理由に挙げられるが
誰もが些細なことでさえ、間違えることを気にして過ごしていると
こんなにも苦痛や落胆を伴っていたのかと、改めて気づかされる
書類を作成する業務(作業)など、この世の多岐に渡る『仕事』といわれているものが、『正確に』『間違いのないように』『スピードを重視』を求められる
生産性や利益追求の末に、このような傾向が強まってしまっている
他者からの評価もその一つだ
『多数から気に入られる』という目的の為ならば
手段は関係なく、嘘や偽りの情報でさえも流し続ける、宣伝し続けているのだ
『夫を一生涯愛し続け、不倫をしないようにする』『いつもメイクをして、綺麗で優しい母親でいる』
『手作りの料理は愛情がこもっている証だから、毎日大変だと思いつつも、フォロワーの為に投稿する』
こういった偏った『価値観』が普段から多数の目に晒されていくと
その『行い』は『正しく素晴らしい』と判断されていく
そのような社会の中で生きていると、少しの『間違い』や『周りとのズレ』により、激しく落胆し
人生をも揺るがすような心持ち(生命力=エネルギー)まで下がっていく
先ほど事務の方に『間違えた書類』をお渡ししたのだが、忙しい最中にも関わらず、笑って『大丈夫ですよ〜』と応じてくれた
全く咎めることも、面倒そうな表情を見せることも無かった
まさに『このやり取り』を、昔から私は求めていたのだ
『気持ちの良い空気感』というのは、こういった他者とのスムーズな『やり取り』によって作り出される
居心地の悪い状態(環境)は『自分にとって逃げ出したくなるか否か』が判断材料となっている
『間違いを非難する』ことや、社会のルール(交通規制のようなもの)に違反した者は
そこから『排除する』ような仕組みや環境がこれまでは推奨されてきた
だからこそ、私たちは『生きづらさ』を感じていたのだ
時代は刻一刻と変化してきている
『間違えた者』を『ダメな人間だ』『社会から排除されている』と決めつける傾向は薄れてきている
人々が『個性』を尊重するような考え方に変わってきているのだ(人類の破滅・絶滅を防ぐ為)
『居心地の悪い生き方』を自分の思考から除いていくことで、根本から『人生変容』が起きてくるはずである(人生の下り坂に差し掛かっている)
『他人を信頼しながら、自分らしく行動する』こと
これが人間にとって、これからの時代に『求められている能力』なのかもしれない