本当は誰でも自由に生きていける魂(のハズ)だった
何となく生きていると、日々の端々に微妙な違和感を感じる場面がある
これは自分の信念に沿って生きられていない可能性から浮上してきたものである
私たちは生まれた瞬間から"社会"というレールに敷かれて、もがきながら(疑問にも思わずに)これまでを生きてきた
その中では、自分が体験したかったこと、二度と体験したくないこと、何度でも体験したいことを経験し、"あたかも自分で操作してきた"ような感覚の人生を歩んでいた
しかし、このやり方では全く人生を楽しめていない(ということに薄々気づいてきている)
見えるようで見えないレールの上に乗せられ、社会や周囲の価値観に流された、"苦しみのルート"をただひたすら進み続けているのである
これは鳥籠の中に閉じ込められ、いつまでも空へと飛んでいけない鳥"そのもの"である
いつしか"冒険"することを恐れ、魂の希望していた自身の体験はドラマや漫画、ゲームなどの擬似体験へ取って代わった(身代わり的な要素)
自分の代わり(自分の分身であるアバター)を自由に動かすことによって(気持ちに共感したり)
冴えない現実を幻想の世界に浸る(あたかも自分事のように)ことで、何とか承認できていたのである
自分を縛り付けているのは、他でもない自分であることに気づかずに
幻想世界で活躍(謳歌している)している自分(自由な立場の自分)を、本当の自分のように認識してきたのである
"恐れや不安"というものは体内に感情機能(人間特有の)が装備されている限り、一生消えることはないのである
だからといって、自分の都合の良いように社会に合わせて生きていくことは(足並みを揃える)
どこかで歪みが生じてしまう
人生は"七転び八起き"という言葉のように
悪いことも良いことも含めて人生なのである
"失敗ばかり"で嘆いていたとしても、失敗が多い人ほど"些細な成功"を敏感に感じ取ることが出来る
これは反対に良いことばかり起きている人が、幸せな状態を感じにくくなることと相反している
人生はプラス面とマイナス面のバランスが取れているからこそ、奥深くて、その先の予測が出来ないのである→これが人生を楽しくするための秘訣となっている(何が起きるか分からないワクワク感✨)
この先の人生を、神社でおみくじを引くように、"好奇心たっぷり"で失敗を恐れずに向かっていこうとする姿勢は
自分の人生に"限りない冒険心"を与えることとなる
→サバゲーのような自由自在な体験
これは人生をアクティブに変えていこうとする心持ちで、"何が起きてもへっちゃら!"(何かの漫画で聞いたことのあるセリフであるが)と、自分(の魂)を信じて生きようとしている証である
→辛いこともあるけれど、すぐに死んでしまう訳ではないし、自分の選択に責任を持ちながら行動している為に、満足感が半端ないはず✨
人とは違う"選択"を躊躇わずに生きていこうとするならば、その道の先に誰しも経験したことのないような"密かな喜び"を存分に満喫することが確実に保証されているだろう
(自分にしか体験することのできない、唯一無二の経験)→既存の法律や規制なども超えていけるような体験
何が起きるか分からない、アクティブな魂の旅(活動)に出かけてみてはどうだろうか?→天に委ねてみる
(自己責任の範疇で)