人や時代に左右されない生き方を貫く

私が昔から感じていた『違和感』はおそらく、周囲との関係性や時代に合わせようとする社会の仕組みの中で生きていたからに違いない

周りに合わせれば合わせるほど、本来の自分から遠のいていき、『不満足』で『不適応』な結果となることには薄々気づいていた

だからこそ『満足感』を得る為に、幼少期〜青年期は『自我』を貫いて生きていたのだと思う

いつの間にか、そんな自分の事を忘れて(心のストッパーが外れてしまった)、親や社会、時代の流れに背かずに、『前へ習え』の精神で生きる事を選択してしまっていた

要するに、様々な見方(選択)が出来るのにも関わらず、自分の中でどんどん視野を狭めていったのである

大学さえ出れば、正社員になれて安泰である
結婚できれば幸せな道を約束されたも同然だ
お金さえあれば心が安心でき、満足のいく人生を送ることができる
専業主婦であれば毎日穏やかで楽しく過ごせる
高学歴な人と結婚すれば、様々な問題にぶつかることは少なくなるなど

自分の考えというよりは、親や社会から見たり聞いたりしたことをそのまま鵜呑みにして、自分の『価値判断材料』としていたのだ

ありとあらゆる選択肢を排除し、偏ったものの見方を通して、『納得のいかない人生』を歩んできてしまっていた

今日閃いたことは、『選択肢を自分で狭めていた』ということ

例えば、とても興味があり、仲良くしたいという人がいるけれど、異性であるし既婚者だからそうゆう事はタブーであるとか

専業主婦(母親)なのだから起業したいとか、生ぬるいことを言っていないで、家事育児に専念した方がいいなど(会社員の方にも当てはまる事柄だと思われる)

このように思い浮かんだ思考回路は、長年の考え癖から導かれている

これまでの時代や社会から生み出された価値観に左右されているに過ぎない

だからこそ、時代や社会(人々)に翻弄されずに、自分の心をまっすぐに信じていく事が
自分として納得していく人生に、欠かせない生き方なのだと思う

心に正直に生きていくと、思いもかけない『アイデア』や『インスピレーション』が降りてくる

それらに導かれながら生きている時には、自分の心の声に従っている為に、外野の声は聞こえてこない(入ってこない)

『自分にとって価値のない時間』で一日の大半を費やすことは、自分として生きている以上、非常にもったいないことをしている

誰もが自分の心を『満足』させる為に、生きていたいはずだろう

時代や周囲に流されずに、『自分の選択した道』を心のままに進んでいく過程で
自ずと自分の成すべきこと(使命)に巡り合うと、信じ続けていたい















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