自分以上に相手を思いやれる行動が『愛』そのものである
どんなに疲れていたとしても
どんなに落ち込んでいたとしても
どんなにイライラしていたとしても
目の前の相手を心から『思いやれている』時には
『助けたい』『救いたい』という意識が働き、今までの疲れや不満は吹き飛び、自然と動いてしまうことが、誰しもあるだろう
それが人であれペットであれ、推しの誰か(アイドル?)であったとしても
その人のために『尽くしたい』と心から思えるはずだ
それは自分の中から『愛』が溢れている状態で
本当に大切なモノや人に出会った際に『発動する』
本来、人に備わっているはずの『愛』
赤ちゃんだった頃はそれを自覚していなくても、周りから愛情を注がれる為、無意識のうちに『愛』を発動していた
大人になるにつれ、心の不足感が増してくると『愛』そのものを欲しがるようになってしまう
それは誰かから『愛』を奪い取る行為であり、元々持っている自分の『愛』を枯らしてしまうことである
誰からも愛されず、争い、嫌われて、行き場を無くした人たちは自分の中に眠る『愛』に気づいていない
『愛』を外側に求め続ける限り、益々『愛』を欲しがる人生を歩んでいってしまう
それは『苦しみ』の連鎖を産み続けてしまうことだ
自分の中の『愛』に気づく為には、自分に優しく生きることが必要である
〜しなければならない、〜しないといけない、〜でないと自分ではないと『否定行動』に走らずに
〜できなくても今の自分でいられる!と腹をくくることだ
自分の内側を満たせば満たすほど、誰かに『愛』を渡したくなってくる
これは体験してみないと、分からない気持ちなのであるが(言葉だけでは中々伝わらない)
一つ例を取ると
何連勤も働いているある人が、立ちくらみが起きてもなお、働き続けている(過労で寝不足でもある)
そんな状態でも、周りの人達を助けたり、喜んで支援している姿を見た時に(周囲に愛を与えている状態)
『なぜ自分があんなに辛い状況でいるのに、周りを助けてあげられるくらい余裕を持てるのだろう』と不思議に思うだけでなく
その人の辛さ(苦しさ)を充分理解できて、辛い状況下でさえ、誰かを助けているその姿に心を打たれて、疲労困憊のその人を『助けたい!』と湧き上がってくる気持ちこそが『愛』ということなのだ
これは私自身の体験談である為、様々な角度から『愛』を考察していく必要はあると思うが
『愛』を探す旅はおそらく、この命が果てるまで続いていくことだろう