ストレス=人生における"スパイス" スパイスの無い人生は無味無成長の歩みとなる
私はシナモンなどのスパイスがとても好きである(薬味も)
それはたとえ普通の料理だとしても、"味に変化を与えてくれる、刺激を与えてくれるから"という理由の為だ
スパイスや薬味を全く用いない料理は、どこか物足りなく、味に奥行きが出ない気がしている
これを人生に例えるなら、"ストレスのない人生"とは日々リラックスして過ごせるものの、イマイチ楽しめない、成長できない、退屈であるという方に流れてしまいがちということだ
人はストレスから逃れたい!と思えば思うほど、ストレスが溜まっていく生き物であるようだが
全く"ストレスがない環境(状況)"というのも、逆に人生における苦悩となり得る可能性があるということだ
目指すべき道が分からない、何のために生きているのか分からない、自分は何をしたいのかが分からない
こういった悩みが出てくるのも、ストレスのない安定安心した環境下に置かれているからこそ
出てきてしまう悩みである(この悩みはストレスとはいえない)
ストレスとは"自分に負荷をかけていく行為"(あるいはかかってくる状況)であるために、自ら行動(変化)を起こさない限り、その恩恵は得られない
ただ頭の中で"思考を巡らせているだけ"の状態というのは、行動(言動も含む)に移せていない自分に対する不満を募らせていることで、本当の意味でのストレスとは程遠い状態である
ストレスを有効活用していく為には、ストレスが生じた時にどれだけ楽しめるか?(自分を成長させられるか)を考えるべきである
物事が起きるのは、全て自分の"成長や変化"の為である
その現象から逃げるのか?、楽しむのか?によって人生の別れ道を選択していける瞬間なのである
成長していく自分(困難を楽しめる自分)を見れることは、人生における"スパイス"となり、何も起きない平凡な毎日に刺激を与えてくれる
→自分らしさ(自分なりのやり方)が徐々に発揮されてくる✨
自分を無理に変化させる必要はないとは思うが、その瞬間に私はこうしたい!という心の奥から湧き上がる思い(声)を無視して行動してしまうことは(周りと同化してしまうこと)
折角作った自分の料理を"味気ないもの"として、いつも通りに家族へ提供する瞬間に近いのではないだろうか
"自分らしさの発揮"というスパイス(ストレスより生じたもの)をあらゆる物事に投影することが出来てこそ、本来眠っている"自分の能力"が光輝いていく気がしている
目の前に起こる全ての"ストレス要因"は
今の自分(情けない自分)を変えるためのチャンスであり
平凡な人生を覆していける"スパイス"(醍醐味)なのである
ストレスの起きていない日常は、自分が人として有意義に生きていないということと同然である
ストレスの波が来てしまった時には、そこから逃げ出そうとするのではなく
強い気持ち(成長できるかも?とワクワクする気持ち)で自分らしく向かっていけたのなら
きっとそれは
"新しい自分に生まれ変われる瞬間"が訪れているのかもしれない
新しい年に向けて、自分に一つ"負荷"を掛けてみてはどうだろうか