人や動物は群れたがる生き物であるが、単独行動を好む者もいる

しばしば人や動物は古来から団体行動(群れ)により、生活を営んできた

団体(群れ)でいることは孤独や不安とは無縁であり、『安心』や『安全』の世界で暮らしていける

そして団体行動(群れでの行動)は『助け合い』の精神が必要となる(義務として発生する)

仲間が(家族が)毎日生きていけるように、食べ物や住む(暮らす)環境(縄張り)をお互いに整えている

そのような団体(群れ)でつるむのを嫌う動物もいる
『ネコ』や『ナマケモノ』『トカゲ』などがそうだ
人間でも『一定数』そういった人たちが存在している

周りとつるまない人(動物)は、『ポリシー』の元に生きている

『同調行動』を良しとせず、自分の中の『基準』に目を向けた生き方をしている

その方が自分にとって『有利』だとも考えている

『有利』とは体力的にも精神的にもという意味だ

『同調行動』は『犠牲』を伴う

つまり自分と感覚が合わない場合に『ストレス』が生まれてしまうのだ

それでも、人(動物)は『群れ』でいることが過去からの『習慣』となっており、中々その『お決まりの体系』から抜け出せない

この『しきたり』をすることには意味があるから、これをしなければならない(お盆や正月に集まるなど)
親戚が困っていたら、助けに行くなど

私は幼い頃から、こういった『しきたり』や『関係性』(上下関係、義理関係)に疑問を抱いていた

部活動の先輩には部活以外で会った時にも、必ず挨拶をしなくてはならない(廊下ですれ違った場合など)

親戚とは夏と冬または春、必ず集まり、皆で豪勢な食事会をする

約束を守れずに、怒られたり咎められたこともある

その度にこの妙な『しきたり』は何なのだろうと違和感を持ちつづけていた

猫やナマケモノにはそのような『縛り』がない

彼らは日々『自分都合』で生きている
無駄に体力・労力を掛けないようにして生活している
『単独行動』をすることで、消費エネルギーを最小限に保っているのだ

だからか『ストレス』を感じているようには到底思えない(見えない)

そして『ストレス』を感じていたとしても、自分で何とか収めてしまうだろう
(『寝る』『歩く』『木にぶら下がる』などして)

元々、誰か他人(他の仲間たち)を頼っていない

信頼してない訳ではなく、『自分』のことは『自分』で何とか出来るからなのかもしれない

人間でもこのような人たちは存在していて、人を根本から頼ろうとはしていない
自力で何とかしようとしている

人に(相手)求めない生き方をしていると、その『頑張っている健気な姿』が人の心を打つ
(猫が自由に動いていると、ちょっかいを出したくなるように)

そして、そういった人(猫)を『助けたい』という人が現れるようになる

その結果、1人(1匹)ではなくなってしまうのだが、とにかく単独行動を好む人(動物)ほど、人に好かれやすいのかもしれない(誰かを必要としていないスタンスが)

人にすがり続けることは、安心できるのかもしれないが、その安心は長くは続かないだろう

群れで行動することは、外見からすると守られているような感覚に陥るが、結局は『弱いもの同士』の集まりに過ぎないのだ(1人では行動できないという)

『自分自身』を強く保てる人(動物)こそ、そのような寄せ集め(似た性質)の『集団』よりも

自分らしくストレスなく、自分の人生を堪能できる機会に恵まれているのだ

『1人(単独)になることを恐れない』心を持つことは
自分の人生を切り開いていく上で、欠かせない要素となることは間違いない













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