幸せの基準を目に見えるものの中から探してきた③

たまたまお風呂に入っている時にインスピレーションが降りてきた為、記載したいと思う

幸せはなるものではなかった

感じている『瞬間』のことだったのだ

同じようなことをお風呂から出た後に、googleにて検索してみたら、やはりそのようだった(笑)☟

よく考えてみたら、過去のあの時は幸せだったと、友人や家族と話す際に、『幸せの瞬間』を切り取った状態で話している

その『瞬間』にスポットを当てているのだ

故に幸せは長くは続かない、というか本人の努力次第なのだ

日々様々な感情を感じていくが、その中の一つに『幸せ』の感情が入るか入らないかの事であった

よく、これをやれば幸せになる、こうなっていれば幸せだと定義付けされているが

それはあくまで、その著者や対象者がそういう生き方や価値観なだけであり、自分にとって幸せを『感じるか否か』は別次元の話である

そして、本人の『努力』次第で幸せな日常を作れるという真意は

幸せを感じる自分が『どんな時なのか』を、把握しておくこと

こういうシチュエーションなら私は幸せ
この人と話していると幸せ
これを見ている時はとっても幸せ
ペットと戯れている時が幸せ
子供のお世話を頑張っている時が幸せ
朝からとても気持ちよく晴れていて、幸せ

などなど

その人なりの、幸せの物差し📏があり、それに気づいていく(手帳などに書いてみると、視覚化されて良い)事や、そのような瞬間に出会えるように、1日1日を自分の手で作り上げていくイメージなのだ

『幸せ』な1日を自分で作っていくというのは、簡単な場合もあるが(幸せ感度の低い方なら)

環境を整えたり、無駄な人間関係を清算したり、断捨離したり、お金を貯めたり、不安要素になるような物事を、極力排除していかなければならないということである

日々、自分の心を観察し、負の感情に気づいて、いらないものを断捨離していく中で、1日の幸せ時間(幸せを感じる%パーセント)を少しでも増やしていくということだ

日本人の多くは、一日のほとんどを思考が占めてしまっている(会社や学校、育児など)

感情を感じられている時間が極端に少ない

それにより、その置かれている環境が『幸せ』を感じにくくなってしまっているのだ

普段から感情をほとんど感じずに生活していくと、些細な幸せにも気づきにくくなる

そうすると生きづらさやモヤモヤを感じて、幸せジプシーとなってしまうのだ

これからの時代は自分なりの幸せを創造していく『意識』を持つべきなのかもしれない

幸せという運命をひたすら受け身で『待つ』のではなく、自ら『掴む』姿勢を持ち、動き続けること

何となく生きていても、立ち止まって動かないでいる状態では、幸せに近づけない(感じ取れない)

自分で、気づいて、求めて、その環境を長期に渡り、自分の為に整えていく

『自分軸』の生き方が、『幸せ』を感じる瞬間を増やしていく行為となるのだと、今頃になってやっと気づけた




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