強い私、弱い私
周囲の人に言われる。
「cotyledonさんは強いよね。」
私は全然強くない、たぶん。
人に意見することが苦手だし、争いたくないので、すぐに引いてしまう。相反するようだけれど、頑固なところもあると思う。口には出さなくても、自分の中の譲れない部分を変えることができない。
たくさんの人の集団の中にうまく馴染めていない気がして、1人でも平気だよって顔をしていたら、いつの間にか気持ちがそっちに追いついてきたみたいだ。でも、平気だけど、居心地は良くない。子どもの参観日とか部活の集まりとか、少し憂鬱な気分だけれど、自分を奮い立たせて参加する。いつの間にか、周囲の人と当たり障りのない会話をしてやり過ごすのが上手になった。
人から心無い言葉を投げかけられることもあるし、嫌な態度を取られる時もある。傷ついて、心の中はしゅんとなる。顔にはあまり出ない。口に出す時も、
「相手には相手の事情があったに違いない。」
「虫のいどころが悪かったのかも。」
「私にとっては、大切な人からの言葉ではないから、気にしない。」
など、自分が気にしなくてすむ言い訳を並べてみる。言い返せない、弱い私。
私は強くない。言い訳が得意で、自分をだますのが上手なだけだ。自分の気持ちに蓋をしたり、忘れるのが得意だ。不思議なほど、嫌だったことを忘れてしまう。嫌だった気持ちは覚えているのだけれど、エピソードが時ととも薄れてしまう。
でも、時々蓋をしてきた自分の気持ちが溢れ出すことがあって、困る。突然ひょっこりと現れて、私を落ち着かない気持ちにさせる。心の中がぞわぞわとして、泣きたい気持ちになる。我慢していれば、波は引くのだけれど、歳や経験を重ねるたび、これは増えていくのだろうか?気持ちに蓋をして、向かい合ってこなかった「つけ」だろうか?
周りから見たら、何を言われてもあまり気にしていなさそうな私は、強い人に見えるのかもしれない。でも、本当の私は弱くてダメダメだ。本当に強い人というのは、どういうものなんだろう。
言い返す強さもあるだろうし、飲み込んで、きちんと自分の中で折り合いをつける強さもあるだろう。私は、折り合いをつけず、自分をごまかしてきたような気がする。
単に強いことがいいことではないかもしれない。人を傷つけない強さを身につけたい。やっぱり、ラブアンドピースかなあ。
こんな時は、フラカンの「元少年の歌」を聴いて、元気を出そう。