【人生を変える本30冊】②『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』森下典子
今日(2024年11月17日)、静岡の吐月峰柴屋寺というお寺で森下典子さんのお話会があった。
「会いたいと思ったら、会わなければいけない」
この本の言葉にも背中を押され、お話を聴きに行った。
森下さんはニコニコと出てこられ、話すと可憐でお茶目な女学生のようで、本で読んだときの様子が目に浮かぶようだった。
この本は、森下さんがお茶を習い始めて感じたことを綴ったエッセイ。樹木希林がお茶の先生で映画化もされている。
お茶は決まりごとの多いがんじがらめの世界。
「なぜでもいいからそうするの」「頭で考えないで手に聞きなさい」一挙手一投足、細かく注意されて反発する気持ちも出てくる。「意味もわからないことを、一から十までなぞるなんて、ただの形式主義だわ」。
でも、少しずつ……
濃茶を練るとき、今ここに自分すべてがいる
沈黙のなかに深い安らぎを感じる
雨が一粒一粒、聴こえてくる
五感が、心がひらいていく……
「雨の日は雨を聴きなさい。心も体も、ここにいなさい。あなたの五感を使って、今を一心に味わいなさい。そうすればわかるはずだ。自由になる道は、いつでも今ここにある」
決まりごとがたくさんあるからこそ、一つ一つのそれに集中しなければいけない。他を考えている余裕がない。今しかいれない。
お茶は、お茶をするという禅なんだと、森下さんは話していた。
合気道、弓道、茶道など、道のつくものは禅の世界に通じていて、深い精神性、人間の真の成長をもたらしてくれるように思う。
日本画の横山大観は、人間が出来てはじめて絵が出来る、画は人なり(世界人になれ)といった。
樹木希林はほとんどお茶の稽古をせず、前日に3回だけ手本をみて(真剣を抜いたような目で、と森下さん)、自分で3回やり、次の日に一発でやり切った。
一番すごかったのは、座ってるだけでお茶の先生にみえることだと話していた。襖をスッと通ったとき、お茶の先生が通ったと勘違いしたくらい、と。お茶の先生の身に付けているものを身に付け、そこからなにかを纏い、終わったら役ごと脱ぎ捨てる。
樹木希林がお茶の先生をできたのは、役者という道を通じて人間が極まっていて、そうした精神性を備えていたから、そう思う。
お茶はお茶ができるためにやってるわけではないのだ。お茶でなくとも、それぞれがなにかの「道」を見つけて、自分を見つけて人間を磨いていったらいいんだと思う。なにより楽しみながら。
森下さんは最後に、どの季節が一番いいというのはお茶にはなく、どの季節も美しくてかけがえのないもの、そして人生も同じように美しいと話していた。
「柳は緑、花は紅(やなぎはみどり、はなはくれない)」内面の美しさが溢れ、自分らしく自分の人生を歩かれている森下さんをみて、私もそんな自分で生きていきたいと思った。