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わっつ じゃぱにーず?。

先月、まだ桜が咲いていた頃、来日直後の外国人と接するアルバイトをしていた。

基本的にその業務以外のことを話すことはなかったが、その日はたまたまお互いに待ちの時間が発生してしまって何気ない会話をしていた。
彼女はトルコから来た留学生。
まず話されたことは、今年が日本とトルコの国交樹立100周年であるということ。正直トルコが世界地図の中であの辺にあるな位の知識しかなかった私は、彼女が嬉しそうにこのことを話しているのをみて少し戸惑った。
そしてKUSHIMOTOは知っている?エルトゥールルは知ってる?と。
パッと言われてしばらくなんのことか分からなかったが、それが中学の歴史の教科書に乗っていたエルトゥールル号事件のことだと気づいたのは5分くらい後のことだった。
多くの日本人が知らないであろう 和歌山県串本町  という小さな町はトルコ人は皆知っているという。
エルトゥールル号事件のことも。
私は?日本人は?日本で起きた過去の出来事、他の国との関係性、自分の住む町のことだってどれだけ知っているのだろう。

彼女は初の来日で、初めて日本の桜を見たと言っていた。
MONO NO AWAREを感じたと。
もののあわれは平安時代の美的観念。
彼女が感じたもののあわれの感覚を私は日本で暮らす中で感じることはできるのだろうか。

それから数日後、同じバイトの帰り道だったか別のバイトの帰り道だったかバスに乗っていた。帰宅ラッシュで「満員のため次の便をご利用ください」まであと少しだったレベルの混み具合が、終点に近づくにつれてちょっとずつ解消されてきた。そんな中、小さな子供を2人連れ、そのうち1人をベビーカーに乗せた黒人の女性がバスに乗ってきた。お母さんはベビーカーに乗っている赤ちゃんをあやし、もう1人の女の子はテンションが上がっているのかベビーカーの周りやバスの空いているスペースをちょこまかと動き回っている。
私が今住んでいるのは、地方の都市で、当たり前に1家庭大人の人数分の車を所有するようなTHE・車社会。関東だったら休日電車にベビーカーを押す親子が乗っている光景はよく見かけるが、それもない。帰宅ラッシュの割と混雑したバスにベビーカーをそのまま乗せる人なんて正直見たことがなく、しかも外国人。おしゃべりしながら動き回る小さい子に席を譲るべきなのか、泣きそうな子をあやす手伝いをすべきなのか、何か出来ることはあるだろうし、きっとなにかしてあげたいと思っている人はいるのに、私も他の乗客も正直どうするのが正解なのか分からなかったんだと思う。誰も何も言わず何もせず空気だけが張り詰めていた。
それは彼女が外国人だから?
同じ町で暮らしているはずなのに。

休学して、地元に戻って地元で暮らしていると、大学のある街との違いを痛感する。
大学がある街は、外国人、子ども、障害を持っている方、学生、シニア、色んな人がいて、みんな同じ社会の中に暮らしている感じが強い。
地元にいると普通の人しかいないように感じて、少数派の人は見ようとしないと見えないところに生きているんじゃないか、多数派の人が追いやってしまっているのではないかと思ってしまう。けど自分は普通の人側なのだと思う、普通の人側にいてそう思っているのはそれこそ驕りなんじゃないか。

自分はどう生きるべきなのか、自分とは何者なのか、日本人とは誰なのか、何を持って日本人なのか考える今日この頃。

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