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あんしん毛布と、『天国と地獄の長い箸』

お昼ごはんやおやつ、コンビニに行くたび、同じものを買ってしまう。
それが好き、それが食べたいというわけではないのだけれど
なんとなく同じものに収まってしまう。
これ!というものにハマると、
そればかり食べてしまうということもある。
毎日キウイを食べ続け、
ある日ぱたりとブームが終わり、
グレープフルーツに変わる、みたいな。
あの、ずっと同じものを繰り返し選んでしまう心理はなんだろう。

漫画『ピーナッツ』に登場するライナス・ヴァン・ペルトは、
いつも毛布を肌身離さず持っている。
あんしん毛布、ってやつだ。
人がモノに執着することで安心感を得ている状態、らしいが
執着かどうかはさておき、
同じものに触れている状態は
なんとなく安心なのだろう。
だから、なんとなく毎日同じものを選んでしまう。
好きだから、食べたいからを超えて
安心だから、の心理だ。

俳優の話を聞いたり、読んだりすると、
さまざまな役を演じていても
1つ1つのキャラクターに、本来の自分と重なる部分を探しながら役作りしているというケースが多いような気がする。
自分とは異なる価値観、異なる境遇で生きる人物を演じながらも
どこかに自分と同じ部分を見出したいのが、人間らしい。

着る服も、なんとなく同じパターンに落ち着いてしまう。
迷うのが面倒だ、
迷う時間がもったいない、
そういう気持ちもあるけれど、
なんとなく、脳が安心するのだ。
実際、脳というやつは、「変化」を嫌うらしい。
同じでいるほうが、脳も混乱せずにすむのだ。

話は変わって。
仏教の法話で『天国と地獄の長い箸』というものがある。
ある男が、天国と地獄の違いを知りたくて
閻魔大王を訪ねて、両方を見学させてもらう話だ。
天国と地獄では、どちらも同じように十分な食事が出る。
どちらも、食事は必ず『約1メートルの長い箸』で食べるという決まりになっている。
条件は同じ。だけど、人々の様子はえらく違う。

地獄では、長い箸がぶつかり合って人々は食事を前にいがみあうばかり。
上手く食べることができず、せっかくのご馳走を前に飢えてイライラが募るばかり。
天国では、長い箸をうまく使い、向かいの席に座る人に食べさせ合って、飢えも争いもない、和やかな空気が広がっていた。

なるほど、これが天国と地獄の違いか、
そう男は察したという話だ。

自分のことばかり考えず、お互いを思いやるべし、
といった教訓じみたことはさてき。
同じ条件でも「工夫」次第だなと
この話を聞いたとき、そう思った。

毎日、同じものでも悪い訳ではない。
ただ、ちょっと工夫をこらすと世界は大きく変わるかもしれない。
まるっと変える勇気が出ないなら
まるっと変えるのが不安なら、
ちょこっと変えてみることが
今の課題だなぁと思う。
毎日の昼ごはんにせよ、仕事にせよ、
生活スタイルにせよ、
ちょっとした工夫ができないか、
地獄を天国に変えられないか
(いまが地獄なわけじゃないけど)
もっと楽しくなれる方法を考えたいなぁ!


『天国と地獄の長い箸』


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