「たくさん」の魔法と、「探さない」ことについて。
なんとなくいいな、という感じの写真を撮れるようになりたい。
そんな、ざくっとした気持ちで、写真のオンライン講座に参加した。
感じることがたくさんあって、一言では言えないのだけれど、もっとも感じたのは、
「いい先生に出会うと、撮ることそのものが楽しく思えてくる」ということだった。
高校のとき、歴史の先生が好きだった。
おじいちゃん先生だったけれど、とにかくお話が上手だった。
なにより、教科書でわからない単語を辞書で引かせ、そこに書いていることが「自分でわかる」楽しさを教えてくれた。
嫌いだった教科や、苦手だった分野が、先生との出会いによって、輝いて見えることがある。
今回も、あのときの感覚に近い。
写真を撮ることそのものへの興味を掻き立てるような、私も撮ってみたいと思わせられるような、そんな時間だった。
私は写真のプロではないので、撮り方、ノウハウ的なことについては、わからない部分もあったのだけれど、大事なのはそこじゃないと思った。
そんななかで、とりわけ刺さった言葉がある。
「たくさん撮るの。
見たものを撮るの。
被写体を探す必要はない。」
撮りたいものがないから、海外に行きますとか、そんなことをしなくても、どんどん撮っていけばいい。
撮りたいものを探すことが目的になってしまうと、探し続けて何も撮れなくなってしまう。
見たものをどんどん撮っていくうちに、いい写真が撮れるようになる、と。
書くこともそうだなと思う。
たくさん書く。
見たものを書く。
書くネタを探すため、わざわざどこかに行ったり、お金をかける必要はない。
今日はいまいちかも……と思っても、書く。
書いていると、ときどき、誰かの心に届くものが生まれている。
私は俳優ではないけれど、演技を生業にしている人たちを見ていると、彼らの仕事にも、これは重なるように思う。
とにかく演じる。なんでも演じる。
そんな俳優が、結果としていい作品に巡り会えている。
もちろん運もあるとは思うけれど。
演じたい作品を探しているうちに、演じる機会はどんどん失われていく。
であれば、どんどん演じてみるほうがいい。
ある俳優が言っていた。
「出演した作品は、2割ヒットで御の字。
5割ヒットはそうない。だから出る。出なければ当たることもない」
成功と自信を手にするには、たくさん出る、出続けることしかないらしい。
「続ける」ことが大事なのは誰もがわかっているけれど、
実は、「たくさん」が大事だった。
今回、写真を教えてくださった幡野さんも「たくさん撮る」を何度も口にしていた。
昔、4コマ漫画の連載をしていた方が、長く続けるコツについて、
「毎回面白いものを描こうとしない。
とにかく描く。なんでも描く。」
と語っていた。つまり、そういうことなのだ。
私たち観る側は、毎回面白いものを求めてしまいがちだ。
でも、たくさんの凡打のうえに、傑作は生まれるもの。
だから、凡打にも意味がある。
それが、真実だ。
しかし……
「探さない」って、深い言葉かもしれない。
人はどうしても、なにかしら探してしまいがちだけど、
知らず知らず、探すことを言い訳にもしがちだから。
「探さない」をちょっとテーマにしてみようかなと思う。