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好物を食べる順番と、夏休みの宿題問題。

好きなものは、最初に食べるか、最後に食べるか。
お寿司を前に、そんな論争になった。
これは非常に難しい問題だ。
子供の頃は、断然、最後にとっておく派だった。
ショートケーキのイチゴは最後の最後に♪ みたいな。

コンサートで、最後の最後に、“これぞ!”な曲がくると
待たされた分、来た〜!!!!となるように、
待って待って待って、耐えて耐えて耐えて、
これが最後というタイミングで味わう“スペシャル感”はいいものだもの。

それが、次第に変化が起き、
今では、“わりと先に食べる派”になっている。
幕の内弁当なら、最初は漬物あたりから入って、
2口目にご飯にいって、3口か、4口めあたりに
好きなおかずに箸をのばす。
なぜなら、最後までとっておくと、
お腹が感じる喜びが薄れてしまうからだ。

だからといって、好きなものを最初に一気に食べてしまうのが、ベストなのか?

私の場合、マックやファミレス、居酒屋に、おしゃれなレストランでさえ、メニューにあれば必ず頼むほど、ポテトが好きなのだが、先日、友人と3人でファミレスに行ったとき、失敗したと思った。
最初にひたすらポテトを食べまくり、
なんとなくお腹が満たされたばかりに、
他のものが美味しく感じられなくなってしまったのだ。
ピザも、温泉玉子のサラダも、ティラミスも頼んだのに。

話は変わって。
ある人と仕事の話をしていたとき、
夏休みの宿題は、最初にやるか、最後の日に泣きながらやるか、どちらだったかという話になった。
こんな話ばかりしているようだけれど、こんな話が実は深い。

うちの妹と弟は最後の日に、怒られながらやるタイプだったが、兄弟でひとり、私だけは最初の数日で一気に片付け、あとは目一杯、遊んだり、部活に明け暮れたり、そんなタイプだった。
最後に泣かずにすむのはいいが、
このタイプにも難点があった。
夏休み明け、宿題でどんなことをやったか、ものの見事に忘れ、提出時に説明しようにも説明できないのだ。

社会人となり、仕事をするようになって、
最初に一気に片付ける、とか、
最後にとっておく、とかいうことが
自分の首をしめるものなのだと、わかるようになった。
今でも苦手な仕事や面倒な仕事は後回しにしがちで、
月末に、泣く泣くお金の精算をやったり、
締切の調整がうまくできなかったりと
失敗した〜!と思うことがあるけれど、
それでも、「毎日少しずつ」というワザも
多少は身に着けたつもりだ。

好物だけ最初に一気に食べるとか、
最後に残しておくとかではなく、
他のものを食べたあとに、好物を少し食べて、
また他のものに箸をのばし、
いくつかを経て、好物をまた食す。
小さな喜びが、ところどころで味わえて
どかんとくる幸福や充足感より、
美味しさが長続きして、楽しいことに気づく。

コーチングを受けていたとき、コーチが、こう言った。
車が横一列に数台並んでいるとして、
10km先のゴールに、すべて一緒にたどり着きたい場合、
一台ずつゴールまで運転して、また戻って次の一台を運転して……を繰り返すより、それぞれ10mずつ進めながらゴールを目指したほうが、はるかに効率的で、楽しくクリアできるんじゃないか、と。
なるほどな、とぶんぶん頷いた。

夏休みの宿題も、好きなものを食べる量と順番も
最初に、最後に、一気に、ではなく、
ちょっとずつ、散らすやり方もありだなと。

コンサートでも、ヒット曲や人気曲を散らすやり方が
個人的には(会場も)盛り上がるもんなぁ!
お楽しみが、都度都度来る感じ、いい波が都度都度来る感じだ。

関係ないけれど。
推しの俳優のひとりが、車の運転についてこんなことを話していた。
「若い頃は、スピードを出すことに夢中になったけれど、今は、ジェントルな運転を好むようになった」

好きなことを一気にやるとか、
嫌いなことをあとに回すとか、
そういうことも、いまだあるけれど。
毎日、数台をちょっとずつ走らせるとか、
食事も、「これだけ!」じゃなく、いろんなものを少しずつ味わうとか、
そういうやり方って、ジェントルだなと思う。
ただがむしゃらに突っ走るのではなく、余裕があるというか、本当に楽しめているというか。

というわけで、今度友達とファミレスにいっても
ポテトだけ一気食いみたいな食べ方はしないようにしようと思う。








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