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“同じ”探し。みずがめ座じゃなくてもいいじゃないか

誕生日が同じとか、
誕生日が近いとか、
誕生月が同じとか、
同じ星座とか、それだけで勝手に親近感を抱く。
そう考えると、親近感って単純なものだ。
同じものが好き、
同じ時代を過ごした、
名字が同じ、名前が同じ、
名前のイニシャルが同じ……
それだけで勝手に親しい感情を抱く。
ものすごく単純だ。
でも、この親近感が実はとっても大切だったりする。

大学時代の友人で、とっても変わった女の子がいた。
みずがめ座生まれの彼女は
幼少期に読んだマンガ占いの影響を受けすぎて
友だちになる前に、「みずがめ座か否か」を必ず確認した。
「同じみずがめ座は相性がいい」と信じるあまり
彼氏もみずがめ座以外は作らなかった。
かろうじて、同じ風の星座の「ふたご座・てんびん座」は許可で
人間関係を「みずがめ座」に縛られて暮らしていた。
同じ「みずがめ座」生まれの私は、一発合格で
すぐに友だち認定された。
いま思えば、しばられすぎ!なのだが
なんとなく相性もよくて、仲良くしていた。

昨年末、20年ぶりくらいに彼女に会えた。
いまもみずがめ座の呪縛に囚われているのかと思い
なにげなく訊ねてみたら
反動なのだろう。
「付き合うなら、みずがめ座以外」というルールに変わっていた。
聞けば、「みずがめ座」にこだわりすぎて
人間関係が狭まって損をしたからだという。
なので、いまは絶対に占いは信じない!と強調された。
すでに友人の私は、みずがめ座で可なのだそう。
十分に縛られているとは思うが
それもそれで、彼女らしく、大いに笑わせてもらった。

人と話していて、
同じドラマが好きだったり
同じ俳優が好きだったり
同じシーンで泣いたり
同じ曲がお気に入りだったり
共通項を見つけると
途端に安心する。

一方で、共通項が見つからないと
焦って何かしらの「共感」どころを探し
好きがズレると、
「合わないのかな」と不安になる。

自分が勧めたものが、相手にそんなに気に入ってもらえなかったり
相手が勧めてくれたものが、自分にはそんなにハマらなかったり
そんなとき、申し訳無さにかられてしまう。
「違って当然」を認めるのは
わりと勇気がいるものだ。

前述のみずがめ座しばりの友だちは
「みずがめ座」にはこだわったが、
それ以外が合わなくても、あまり気にしない子だった。
それ以外が合わないほうが
面白がれる子だった。

よく考えてみると、
30年来の親友は、誕生日が2日違いのまた別のみずがめ座で
そこだけは近しいが
好きの傾向がまるで合わないまま
ケンカもせず、仲良くやっている。
周りにいる大好きな友人たちも
1つ2つの「同じ」を抱きしめつつ
違うところだらけで、笑い合っている。
違いに驚き、違いを楽しみながら
仲良くやっている。

初対面や、まだ距離のある関係の場合
「同じ」にこだわりすぎるのかもしれない。
「同じ」は1こくらいで十分。
それがわかれば
みずがめ座以外と付き合うと言い始めた彼女のように
世界は生きやすくなるのかもしれない。
少なくとも彼女は、生きやすくなったらしい。
まぁなんにせよ、相当な変わり者だから
「同じ」はなかなか見つからないと思うけれど。

でもまぁ共感されると嬉しいし、
だから、「共感されないかも」と怖れて隠すより
「1人でも共感してくれたらラッキー!」と
自分の好きを出したほうが、楽しいよね。













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