争いと自由。
おはようございます。
秋晴れは、気持ちがいいです。
昨日の夕方、
中学生が家の前を通り過ぎたとき、
「別れたひととすぐ話せると思うかぁ?」
って話しているのが聞こえてきて、
「うん、それは無理やな。」
って突っ込みたくなりました。
手をつないで登校しているひともいるらしく、
いやぁ、いいねぇ~っとひとりニヤニヤ。
私だったら、もう勉強どころではなくなりそう。
青春楽しんで~って応援したくなる。
そしてまたまた、
担任の先生から電話がかかってきて、
iPadでのトラブルがあって、
怒られて、泣いていたみたい。
帰ってきたときは、
もう何回も怒られているから平気やわって、
ケロっとしていたけど、
平気ではなかったと思うけどなぁ。
友だちに話して帰ってきたみたいなので、
気持ちの整理ができたのかもしれません。
いろいろと怒られることもあるけど、
ひとを傷つけることでなければ、
本人が一番よく分かっていると思うので、
家では責めないようにする。
まぁ、そんなこともある。
大らかに、大らかに。
さて、やっと本題。
録画してそのままだった
「最後の講義」政治学者 姜尚中さんの回、
みました。
姜さんのゆったりした話し方が、
心地よく、すっと話が入ってくる。
在日コリアン2世として、
生きてこられた道のり。
なぜ人は争うのか、
自由とはなにか。
国と国、人と人、
敵としてみるのではなく、
ライバルとしてみる。
「国」としてみるのではなく、
「人」を通して「国」を知ること。
姜さんにとって自由とは、
今とは違う世界をイメージできること。
オルタナティブがあること。
現実と違うことを想像し、
それを少しでも変えることができるかもしれないと想像する。
自由がなければ、
想像することもできない。
いろいろと考えてしまいました。
今日はこのへんで。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
今日もよい一日を。
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