「勇気をもらいました」。本気?
いつからこんな言葉が流行りだしたのか。まったく馬鹿げてる。勇気はもらうもんじゃない。自分のなかから出てくるもの。湧いてくる、取り出す、なんでもいいけど、もらうのだけは絶対に違う。
なぜか。簡単な話、自分にないものをよそからもらうんであって、自分のなかにあるものは、それが何であってもわざわざ人からもらう必要はない。もらったと思っているそれは、絶対に自分のなかにあったもので、生まれたときから自分の一部、自分のもの。何かあるたびにひとからいちいち勇気をもらっているなら、その「もらった勇気」はどこから湧いてきたの?自分自身のなかにあったに決まってる。「勇気をもらった」自分は勇気がない存在だと、言葉のうえで自分自身を否定している。
どんなに卑屈で怯えて、ぼろぼろに泣いている人間のなかにだって必ず勇気はある。それが人間というもの、人間という存在の本質の一部だ。ただ見えなくなっているせいで、ないのだと勘違いしているだけだ。「自分は弱い」と何十年も思い続けている人間にだって勇気はある。誰ひとりとして、他人から「勇気をもらう」必要なんてない。誰ひとりだ。
自分は勇気がない存在だと考えるだけで悲しくなるし、言葉に出せば虚しくなる。こんなにも世界を虚しく悲しくさせるような言葉を使うなんて、馬鹿げたことはやめにしよう。「勇気がでた」「勇気が湧いてきた」これでいい。