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Web小説が書籍化されても同じ小説とは限らない 第三章Web小説と文学の脳内ツール

第三章第一話 脳内ツール


 私達は何のために、Web小説を読むのだろう。
 そして、何のために文学を読むのだろう。

 Web小説の読者は『感情のアップダウン』を。
 文学の読者は『考えること』『知ること』を、それぞれ求めて読むのだろうと、私は推測しています。
 
 Web小説の読者は『ドキドキしたい』『ワクワク、ヒヤヒヤさせてくれ』。文学の読者は『私に考えさせてくれ』『知的好奇心を満たしてくれ』。
 ざっくり分けると、そんな感じではないでしょうか。

 もちろんWeb小説にだって、ちゃんと深い意味がある。文学にもドキドキハラハラはありますよ。そういったご意見が生じることは承知の上で書いてます。
 ただですね。
 この創作論は、ネットで公開しています。
 ということは、正確を期するため、分類を詳細化していくと、情報を処理するために手間がかかる。

 すると、後頭葉に「面倒くせえ」と、拒否される可能性大。

 ネットで何かを説明するなら、細分化はせず、でっかい円でくくった方が、脳に負担かけずに済みます。
 そのための後頭葉対策だとして、ご了承下さい。
 ですので、それぞれどちらの要素もありますが、優勢なのは『どちら』なのかで分けています。

 この創作論の前半では、Web小説は『情報を処理して分類』する、後頭葉で文字が読まれ、後からその情報により、前頭葉で感情が喚起されるのでは、と述べました。
 これは、あくまで推測にすぎませんが、前頭葉が連動し始めたとしても、Web小説の文章は引き続き、後頭葉が処理しているのではと、思われます。

 まず、後頭葉から前頭葉に送られてきた情報により、前頭葉の喜怒哀楽のが動き出す。
 前頭葉は、これは一過性のニュースではなく、誰かに何かの想いを伝える小説なんだと、気づき出す。

 一方、前頭葉にも『思考する』『推測する』など、受けとった情報を分類して処理する機能が備わっています。
 ですが、後頭葉がそれやってくれるんなら、前頭葉は「じゃあ、自分はそれ、やらなくてもいいや」と、思っている。

 そのため、Web小説を読む時は、前頭葉での喜怒哀楽の感情の起伏が『過剰』になりやすい。
 もし、この時点で冷静になって思考する前頭葉が正常に起動して、理性が機能していれば、感情の起伏はセーブされているはずです。

 くり返しますが、後頭葉は、本来は文章を情報として処理する『だけ』です。
 
 対する前頭葉では、送られてきた情報を冷静になって分析し、推測しながら把握する。送られてきた情報への感情が、度を越さないよう『セーブする』役割も担っています。

 そういった理性によるブレーキ機能が低下するため、ネット上では一旦感情が喚起されると、アクセル踏みっぱなし状態になっていく。
 ツイッターやラインでのやりとりが、どんどん感情的で攻撃的になっていくのも、Web上では、前頭葉の理性による、感情の制御作用が正常に機能しないためではないでしょうか。

 まず、ここで、Web小説を脳が『小説』なんだと認知して、読み始めた後の脳内の役割分担を図式化します。

 Web小説では、後頭葉が文章を『情報として伝達』→『前頭葉』が受け取る』⇔物語として認識して『感じる』。

 感情と思考の間は一方通行ではなく、行き来していると捉えて下さい。
 それぞれの役割分担のパーセンテージは、

文章の解読(20%)→感情の起伏(70%)⇔思考する(10%)

 私の主観では、そんな印象です。後述する文学の場合との対比をクリアにするため、多少誇張しています。

 対して、文学を読む時の脳の起動推移と、優位性を推論してみます。

 まず、紙書籍の本を開く。
 そこに字が書いてある。それにより、視覚から何か情報が入ったなと、後頭葉が動き出す。後頭葉は、視覚から入った情報が『何であるのか』、認識する役割を担っていますので。
 後頭葉は「あっ、なんか紙に字が書いてある」と、反応する。

 すると、後頭葉はその情報を、そのまんまスルーさせて前頭葉に伝達する。
 言いかえれば、前頭葉に「なんか、紙に字が書いてあるんだけど」と、伝言する。後頭葉の役目は、これで終了。

 だって、紙で本を読む時は、視覚から受けとった情報を『噛み砕いて理解』するのは『前頭葉の役目』っていう、1000年以上培われてきた脳の慣習なんですから。

 そこで、前頭葉は『文字の羅列』にすぎないものを『文章』だと、認知する。
 前頭葉は、視覚や聴覚などから集まってきた情報がなにであるのかを推測し、理解するのが仕事です。

 ただ、『後頭葉で行われる情報の処理の仕方』と決定的に違うのは、前頭葉は、『自分の経験に照らし合わせて』理解する、という点かもしれません。

 ものすごく大雑把に比較すると、

後頭葉……目から入った情報が『なに』であるのかを、知覚する。
前頭葉……これまで培ってきた自分の『知識や経験と照らし合わせて』考える。

 ですので、かなり差別的な表現になってしまいますが、あえて言うなら、文学では、Web小説より多少小難しいことを書いても、読み解いてもらえます。
 読み手の前頭葉が、蓄積してきた知識と経験を用いつつ、これは、こういうことかなと考えたり、それとなく含みを持たせた行間の意味合いも、察してくれたりしますので。

 そうやって書かれていることを理解すれば、喜怒哀楽の感情も動き出す。
 そうだそうだと、共感したり、腹が立ったり、読んでいて何だか悲しくなる。
 その辺は、Web小説と同じです。

Web小説が書籍化されても同じ小説とは限らない 第三章第二話|手塚エマ (note.com)

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