Web小説が書籍化されても同じ小説とは限らない 第二章第二話
第二章第二話 Web小説縛りの二大巨頭 テンプレ編
これまで書いてきたように、後頭葉のモットーは『効率的』。
だからとても『面倒臭がり』。そのため、Web小説には暗黙の了解ともいうべき『テンプレ』が存在します。
なにしろ、テンプレ枠に収まらない小説は、その目新しい設定や世界観など、多くの情報をゼロから理解し直さないといけません。
考えただけで、面倒臭そう。
BLで例えるのなら、まず『攻め(男役)』と『受け(女役)』の主軸キャラが存在する。視点は三人称か、一人称が推奨されます。
ひとつの作品内で視点が変わることは、基本NG。
加えて、一冊の文庫本であれば、最低2回はHなシーンが必要です。
ラストはハッピーエンドが好ましい。あと、女性キャラの登場は最小限に。できることなら登場させない。
また、案外重要なのが、主人公は『受け』である方が望ましいという点です。
BL読者の大半は女性です。
主人公が攻めるより、受ける側である方が、読者は主人公に感情移入しやすいからです。
これらの『テンプレ』から、設定や展開などが逸脱するほど、情報を処理する後頭葉は、「これはBLじゃない」と、違和感を覚え出す。
なんか違う。
自分が知っているテンプレではない。その抵抗感が、小説に対する拒否反応になりかねない。
固定ファンが大勢いる大御所の作家さんなら、変則技の展開や設定も、新鮮だとして、ファンに喜ばれることもあるでしょう。
ですが、プロを目指す投稿者や新人は、既定路線を踏んだ方がいいですよ。
テンプレに添いつつ、個性を打ち出す矛盾を乗り越える。
その方が無難だろうというのが、私見です。
このように、Web小説ではタイトルに、読者の興味を引きつける『検索ワード』を盛り込むこと。
テンプレを過剰に逸脱しないこと。
文学よりも、よほど縛りがきついなと感じます。
まずはWeb小説として『した方がいいこと』と『しない方がいいこと』を、どのように使いこなすのか。
その力量が問われるのも、Web小説を書く者の宿命なのかもしれません。
そして、Web小説のそれらの縛りをクリアしながら、ライバルに差をつけるにはどうすれば……。
それがわかっているのなら、そしてそれができているなら、私もデビューしているはずなので、論説するのも気が引けますが。
ここで言及しないのも、片手落ちのように思います。ですので、サクッと書いて通過します。
もし、突き抜けた独自性をと考えるのなら、自分の変態性を、どれだけ恥ずかしげもなく書けるかどうかじゃないでしょうか。
自分が何に執着を示す変態なのかということを、小説を通して豪語する。
その時、書き手に少しでも躊躇や恥の感覚が生じると、ストーリーにも、それが透けて出てしまう。
私は自作の投稿作への批評の中で「まとまってはいるが、決め手に欠ける」。
そう、何度指摘されてきたことか。
針を振り切ってしまえない踏ん切りの悪さが、作品としての勢いであったり、インパクトの弱さに通じてしまう。
だからといって、書き手がキャラを演じさせても、小説を読めば『真正・頭おかしい人』かどうかは、伝わってしまいますよね。どうしても。
明治末期から昭和初期にかけて活躍した文豪の谷崎潤一郎だって、ドM変態の総合商社。太宰治だって、メンヘラの帝王。何ごとも極めれば、文学やエンターテイメントに昇華させることができますよ。
だから、人には絶対知られたくない自分を描く。
谷崎潤一郎も三島由紀夫も太宰治も坂口安吾も、みっともなくて情けなくて、ろくでもない自分をネタにした人。恥をかけということです。
だけど自分は普通だという認識があるのなら、その『普通』さを全開しましょう。前面に打ち出しましょう。あなたがどれほど『普通』であるかを、書くのです。
それでも、黒船ペリー来航以来のカルチャーショックの変態作家が出現しても、奇抜なアイデアだけが抜き取られ、あっという間に『検索ワード』にされてしまう。そして、書店には似たような作品が溢れかえる。
そのスピードといったら、Webの特性そのものといっても過言ではありません。
類似品が乱立すれば、頭ひとつ抜きん出たはずのアイデアもマンネリと化し、その系統の売上も、どんどん頭打ち状態になっていく。ラノベ作家と出版社の苦悩は尽きません。
なんだかWeb小説で個性を打ち出すには! を書くつもりが、筆者の愚痴っぽくなってしまいました。すみません。
次章からはWeb小説と、紙媒体の小説に対する脳の反応について、掘り下げて書きます。